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港町下関考

“港町下関考”は「みなと山口新聞」で平成12年1月からスタートした連載です

(No.1〜No.18|No.19〜No.36|No.37〜No.54|No.55〜No.72|No.73〜No.88完
1.町おこしの経済学 2.関ヶ原の雪 3.象と鯨
4.タブル・クロス 5.儲け話 6.理科の時間
7.だから沖合人工島 8.花見酒 9.ババ抜き
10.下着の秘密 11.マングース 12.スピード時代
13.酒の効用 14.年の功 15.二都物語
16.人のうわさ 17.赤い糸 18.箱入り娘
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1.町おこしの経済学
  大昔なら、それぞれの地域にそれぞれの暮らし方があった。それは今日、地域ごとに異なる正月の雑煮に名残を残す程度である。現在の人々の暮らしは、地域の特性が薄らぎ、全国で標準化が進んでいる。
  つまり、現在の人々の暮らし方は、全国何処に住んでいても同じようなものを食べ、同じような物を持つ。それは何処にいても同じような商品を買うということに他ならない。
  重要なことは、何処でも買われる商品が、大抵の場合、特定の場所で作られており、人々が買う商品のほとんどが他地域で生産されているということである。
  下関のダイエーや大丸の品揃えのほとんどは、下関産ではない・・という方が分かり易いかもしれない。結果、人々が普通の暮らしをすれば、地元の商店での買い物であっても地域外の商品を買うこととなり、地域の中から外へと資金が流出する。
  そこで、地域の財布を考えると、人々の生活を支えるために地域の外へ流出する資金に見合う地域の収入が無ければ、やがて地域の財布は空になってしまう。
  逆に、地域にしっかりとした収入があれば、人と物が地域に集まり、地域は栄える。昔はもっと賑わっていた・・との感慨に、多大な地域収入をもたらした造船業、水産業のかつての超元気が普通の元気になったからだと、下関の多くの方々が直感している。
  しかし、他地域に比べれば、下関はまだまだ元気である。造船業、水産業ともに現在でも下関の地域収入を支える主要産業として健在である。
  観光資産は地域外から人の賑わいと消費を地域に呼び込むみ、地域収入を約束する。商圏の広い地元企業が他地域で稼げば地域収入となる。
  下関には第四港湾建設局など、国の機関が所在し、国家公務員の給与が地元消費に回り、地域収入になる。下関の大学に他市、他県の子弟が通えば、下関への送金が生じ、これも地域収入になる。公共事業も、地元負担を除く国からの補助金等が地域収入になる。
  下関港を利用する貨物の大半は東京、大阪の貨物である。その貨物の取り扱い経費は、東京、大阪の荷主が支払う訳であり、これも地域収入となる。このように地域収入には多様な形があり、しかも下関には地域収入のメニューのほとんどが揃っている。
  そして、地域の人々が、それぞれの立場に合ったメニューで地域収入を拡大させれば下関を元気にできる。なお、私は自らの立場から下関港というメニューを選ぶことにしている。
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2.関ヶ原の雪
  この季節、東海道新幹線が関ヶ原の雪のために遅れることがある。我が国最新鋭の鉄道と天下分け目の合戦の場とのつながりに妙な違和感を感じるのは私だけだろうか。
  少なくとも、新幹線のレールは関ヶ原を通っているのである。その理由は簡単明瞭、レールを敷くにしても、道路を建設するにしても、平地が続けば簡単で安上がりである。それに対して、もし山を削り、橋やトンネルを建設すれば大変な労力と資金が必要となる。
  昔の街道は、今でも街道なのである。そして、古戦場は大抵の場合、今でも交通の要衝である。源平合戦は一の谷、屋島を経て壇ノ浦に終焉を迎える。これらに現在の港湾を当てはめると、神戸港、高松港そして下関港。
  いずれもが瀬戸内海の海上交通の要衝である。これは、人々の活動が普遍の地理的な条件に左右されるということである。人々が移動したり、建物を建てる場合、通常は平地を選ぶ。それは山野を移動することが非常に労力を要することに由来する。
  産業の立地でも、登り窯を例外として通常は平地が好ましい。首都圏東京の今日の発展と、関東平野が日本一広い平野であることとは無縁ではない。江戸幕府を開いた家康の慧眼に感心させられる。平野は人々の活動の場なのである。その結果、一体に連なる平野の規模が、その地域の人口や経済力の極大値を規定する。
  例えば、東京、大阪など大都会と呼ばれる場所の特徴を考える時、必ずあるのが人通りの絶えない繁華街であり、高層の建築物である。それは、面的な都市機能の広がりの中に、人々が集中するから生じるのである。
  このような視点から、もし下関に都市的機能を集積し、都会の雑踏を作りたければ、下関において一連の平地を最大限確保できる場所を選べば良いということになる。
  一方、下関市を全市的に見れば平地が分断されている。この平地の分断が、下関の交通体系整備や拠点づくりを難しくする最大の理由である。
  しかし、平地を分断する山地も海も恵まれた自然環境である。東京都では、排ガス、廃熱対策としてビル緑化を始めたが、豊かな自然環境に恵まれた下関では、その自然を大切にするだけで十分なのである。
  物質的豊かさと利便を追求してきた20世紀は環境問題という負の遺産も残した。心の豊かさと良好な自然環境がより重視されるであろう21世紀に下関の地理的条件が輝きを増すのは間違いない。・・「快適環境都市下関」の所以である。
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3.象と鯨
  下関の新水族館には世界最大の哺乳動物であるシロナガス・クジラの骨格標本が本邦初展示される。その鯨の重量が100〜120トンもあるということは、海に棲む鯨が陸上動物よりも遥かに大きいということである。
  それは海の中では海水の浮力が働き、いくら大きくても重力の呪縛から解き放たれて活動できるということである。これと同じように、陸上のトラックなどと比較して、海に浮かぶ船は極めて大きい。例えば、トラックであれば積載量が10トンとか20トンといった程度であるが、船では巨大タンカーの50万トンといった具合である。
  鯨と同じく、海に浮かぶ船は、トラックなど陸上輸送機関に比較して空間的、重量的制約が少ない。そして、近年の造船技術の進歩と経済性追求の結果、船舶の大型化が急速に進んだ。例えば、かつての外航航路では、例えば3〜5千トンの貨物船が主流であったが、今日では3〜5万トンの船舶が主流となっているといった具合である。
  一度に運べる貨物の量が10倍になり、また、船の喫水や長さが3割ほど増したことになる。このような船舶の大型化により、港では船の数が減る代わりに、一度に沢山の貨物を取り扱わなければならなくなった。更に、船を係留する岸壁の深さや長さを大きくする必要も生じた。港での貨物の取扱いも人力荷役が機械化し、更にコンテナ化するという具合に大きく変貌した。
  これらの変化に対応するため、各港が進めているのが施設の外港展開である。つまり、幅広い用地と大水深の水域を確保するため、既存の港湾の外側に新たな港の施設を整備するのである。
  それと併行して既存の港湾の施設に新たな活用方策を見つける・・いわゆる港の再開発である。幸いなことに歴史ある港町では、昔からの船着き場が街の発展の起点でもあり、市街地の中心部に位置する。よって、外港展開により物流の役割から解き放たれた空間は、街の中心部に集う人々と海との接点として新たな役割を与えられることとなった。これが、各地のウォーター・フロント再開発の背景である。
  下関でも、日本海側に新たな港湾施設として沖合人工島の整備が進められ、一方で、唐戸地区、東港地区の市街地に近接する旧港地区では、新市場、フィッシャーマンズ・ワーフ、水族館、商業施設、ホテルなど関門海峡のウォーター・フロントの魅力を活かした各種の施設整備が企画され、また着々と進められている。
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4.ダブル・クロス
  海から見ると大海を結ぶのが海峡であり、陸から見ると対岸に最も近接するのが海峡である。その結果、大海を結ぶ海の交通は海峡に収斂し、また、陸を結ぶ交通も海峡に収斂する。関門海峡に面する下関が海陸交通の要衝たる所以である。
  関門海峡は、日本海と瀬戸内海、そして太平洋を結ぶ国際航路として多くの船舶の往来がある。また、島国日本で本州と九州を結ぶ陸の大動脈が全て下関に収斂している。鉄道でも、道路でも、山陽線と山陰線がともにあるのは下関だけ・・と言った方が分かり易い。
  そのことに一番驚かれるのが地元の方々である。地元の方々には当り前過ぎて、それが下関だけということに驚かれるらしい。トンネルや橋がつながり通過点となってしまった・・という声も聞かれるが、国土骨格を結ぶ交通が海峡に面する下関に収斂するということは、幹線交通網から見放された数多くの他地域よりも遥かに恵まれている。
  とりわけ下関港にとっては、幹線交通網が収斂することが大いに役立っている。下関港に荷を下ろせば、トラック或いは鉄道によって、大坂、東京など本州各地へ貨物を迅速に運ぶことが出来る。海峡の織り成す十字路交通の要衝性・・これが下関港の第一のクロスである。
  次に、下関港は朝鮮半島先端に位置する韓国釜山港に近接する。即ち、下関港は、本州で最も韓国、或いは中国大陸に近い港である。何しろ、下関と釜山との距離は約220キロ、下関〜広島間よりも短い。この半島への近接性があって、日韓のさまざまな歴史の様相において常に関釜航路は人と物を運ぶ大動脈であった。
  その役割を平和と友好の時代に継承した関釜フェリーも昨年就航30周年を迎えた。この朝鮮半島との連絡を縦軸としたとき、横軸としてアジア〜北米への国際物流の大動脈が交差する。何故なら、香港などアジアの拠点港と北米を結ぶ最短ルートが、日本海、津軽海峡を通るからである。
  平面の地図では太平洋を通る方がが近いように見える。しかし、地球は丸いのである。試しに輪ゴムを地球儀に当ててアジア〜北米を結ぶと、輪ゴムは下関付近から津軽海峡を見事に通る。これら日韓ルートとアジア〜北米の海運ルートの交差が下関港の第二のクロスである。
  人通りの多い商店街の交差点に店を出せば商売繁盛間違いなし。日本と世界の二つの十字路交通の要衝に位置する下関港の大繁盛も当たり前・・下関港ダブル・クロス理論である。
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5.儲け話
  バブル後、公務員にも株、不動産で絶対儲かる・・との話が時々来るが、私は絶対に信用しない。本当に儲かるなら、他人に知らせず、自分で儲けた方が良いに違いなく、儲け話は他人に言わないのが世の常だからである。
  それでも敢えてお知らせしたいのが下関港の儲け話である。不景気と言われる中で下関港の輸出額は、昨年上半期の速報値で対前年度の7割増し、既に博多港の8割の規模となっている。輸出が博多の8割!とと言うと、誰もが驚き、ホント?と聞き返す。税関さんの数字ですから・・スラリと答える快感。下関市港湾局長の至福の一瞬である。
  これは、韓国経済の回復、親密さを増す日韓関係、国際分業の進展などを追い風に、関釜フェリー航路を基軸とする下関港の対韓貿易における高度な国際物流サービスが評価を得ている結果である。
  韓国釜山港との近接性があって成り立つ関釜フェリーは、夜釜山港を船出すれば、翌朝には下関港へ確実に貨物を届けてくれる。デイリー・サービスの国際フェリーという意味で、全国で関釜航路だけ・・航路サービス日本一の下関港である。次に、下関港に入った貨物は、その日の内に通関を終え、夕刻には全国へ向けて配送される。しかも、一年365日休むこと無く即日通関が出来る港は全国で下関港だけ・・通関体制日本一の下関港である。そして、トラックや鉄道で大阪、東京或いは東北まで貨物が運ばれる。
  例えば、夕刻に下関を出た貨物は、その日の夜の内に大阪に届き、翌日の昼頃には東京に届く。つまり、韓国釜山港を夕刻に出て、翌日の夜中には大阪、そして翌々日のお昼には東京まで貨物を輸送できるのである。このスピードは、関西空港や成田空港を利用する航空便に引けをとらず、費用はかなり安上がりとなる。
  このような下関港の対韓貿易における優位性から、輸入品では生鮮野菜や衣料品、輸出品では韓国向けの電子部品など、スピードを要する高付加価値貨物が下関港に集まっている。
  下関の人口は26万人、山口県でも150万人である。しかし、例えば下関港で輸入されるナスは全国シェアの9割以上を占めている。これは、山口県人が取りたててナス好きで無い以上、下関港を利用する貨物が全国的な広がりを持っていることに他ならない。
  そういった貨物配送の広がりを港湾背後圏と呼ぶが、背後圏も日本一の下関港である。これら三連発の日本一が下関港を儲かる港にしてくれている。
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6.理科の時間
  モノを運ぶことを輸送と言い、これに経済活動を加味した言葉として物的流通があり、それを略して物流と言う。そして、輸送や物流は人類の歴史とともにあり、今後も絶対に不滅のサービスである。その理由は極めて明快・・同位置に二つの物体が同時に存在し得ない三次元空間にあって、人が生存し生活するためには物資の供給が必要不可欠だからである。
  生物は自ら移動する手段を得て動物となり、そうでない植物は水、大気の流動が必要物質を供給する。人も然り、欲しいモノの所へ移動するか、欲しいモノを届させるかしており、空気は大気の流動により得ることができる。レストランを想像すれば、もっと分かりやすい。自ら運ぶセルフ・サービスか、給仕に運ばせるか、或いは回転寿司よろしく目の前を巡るモノに手を伸ばすかである。このように不滅の輸送サービスが消費するエネルギー消費量は、現在日本の総エネルギー消費の約2割である。
  ところが、物理学的にはモノの移動に摩擦損以外のエネルギー消費は本来不要である。何故なら、モノの水平移動は基本的に運動エネルギーを与え、それを回収するだけであり、それに垂直移動が加わると位置エネルギーの収支が組み合わさるに過ぎないからである。
  例えば、時計の振り子は両端での一瞬の静止を挟んで振れを繰り返す。振り子の振れは重りの左右移動であり、大きなエネルギーの供給がなくても重りの左右移動は繰り返される。これが移動にエネルギー消費が不要であることの一つの実例である。
  自然を守るターザンが省エネ的な振り子移動法を活用したのは単なる偶然なのか、それとも地球環境時代を見通していたのか・・いずれにせよ、理論的に不要である以上、輸送や物流に大量のエネルギーを消費することは罪深い浪費でしかない。
  そのような浪費を少なくするため、鉄道には減速時に発電する回生機構が組み込まれ、自動車でもハイブリッド車が同じく回生による省エネを実現している。また、自動車輸送から船や鉄道といった省エネ的な輸送手段へ移そうというモーダル・シフト政策も提唱されている。かくの如く輸送や物流における省エネ対応は時代の潮流である。
  もし、この潮流に乗り遅れれば港湾の存続も危ぶまれることとなろう。とりわけ、大阪、東京そして遠く東北までもを背後圏とする下関港では、長距離トラック偏重から脱し、鉄道輸送の利用を拡大することが大きな課題となっている。
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7.だから沖合人工島
  全国の魚が集まる築地の市場。地名の通り江戸時代の埋立地である。下関でもシーモール辺りから海側は埋立地である。このように、概して急峻で平野に乏しい島国日本では、経済活動の場を海に拡大するための埋立地造成が盛んに行われてきた。そして、明治以降に近代港湾の建設が始まり、船が座礁しないために海底の土砂を掘る浚渫と、その浚渫により発生する土砂を活用した埋立を組み合わせた埋立浚渫が盛んに行われるようになる。下関市にあって、シーモール用地も港湾局の所管となっている所以である。そして、現在でも下関港では用地不足への対応などのため埋立を進めている。
  この埋立の最大の特徴は、工事の成果が永久財である土地になるということである。橋、トンネル、ダムなど、通常の土木施設はメンテナンスを必要とし、用地を除けば時とともに価値が減少する償却資産であるが、埋立地には耐用年数が無い。江戸時代に埋立られた築地が今もなお価値を持ち、活用されていることがその証である。
  大袈裟に言うと埋立は国土の拡張であり、平地に乏しい島国日本で、とりわけ平地に乏しい下関で埋立造成を是とするのは至極当然のことと言える。別の言い方をすれば、一度埋立造成した土地は未来永劫に何らかの効用を発揮する訳であるから、長期的かつ社会的な視点ではマイナスなど有り得ないのである。・・ここまでが陸の論理。
  これに対して、海の論理はちょっと違ってくる。埋立により土地が造成されることは、海の一部が消失することに他ならない。そして、海の一部といっても希少性、或いは環境への影響という意味では、埋立により砂浜、干潟といった水際線が減少することが課題とされている。
  この課題への一つの回答が沖合人工島方式の埋立である。何故なら、沖合人工島は既存の水際線を残すことが出来るからである。更に下関沖合人工島では経済性の追求一辺倒ではなく、少々コスト高になることを覚悟の上で周辺に海草の生える浅瀬部分を造ることにしている。
  従来の埋立工法は水際線の干潟や砂浜などが減少することがあったが、下関の沖合人工島では逆に海洋生物の生息に都合の良い水際線を増やすことが出来る。
  つまり、従来のマイナスもプラスに変えたのが沖合人工島である。しかも、日本で最も厳しい環境配慮を求める瀬戸内海特別措置法の下、定常的な環境監視も行いながら、下関沖合人工島の建設は進められている。
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8.花見酒
  日和山公園での四建の事務所総出の花見酒。18年前、下関へ赴任した時の懐かしい思い出である。その後、新潟に赴任した折りには、新潟西海岸の浸食対策のため、海岸を見下ろす日和山公園に通ったことを思い出す。日和山公園は、下関だけでなく新潟にも在ったということである。
  日和山という名前からすると、天気の良い日に散策をする場所・・というような印象を受けるが、本当の由来は北前船である。調べれば、日和山という地名は日本海沿岸の港町に多く残されている。海や空の様子を見渡すことが出来る小高い場所・・北前船の船頭が雲を読み、波を読んで航海の可否を判断したのが日和山である。
  つまり、日和を現代風に言えば気象であり、それを見る場所が日和山ということらしい。北前船は、日本海が荒れる冬場には堺辺りに保管され、春を待って船出する。そして、瀬戸内海諸港を巡り、関門海峡を経て日本海に入り、沿岸諸港を巡りながら北は松前(北海道)に達す。そして、同じ経路を辿って堺まで戻り、冬を迎えるため船を休める。このような年周期の活動で、北前船は日本の物流を支えていた。日和山の地名の他、沖縄の料理に北海道産の昆布が多く使われること、或いは「おけさ」の伝播など北前船の活躍の痕跡は様々な形で残されている。
  北前船の活躍した時代には、瀬戸内海と日本海を結ぶ下関は「小堺」と呼ばれるほどの賑わいを呈していた。下関に発祥する御維新も、北前船で財を成した白石家無しには有り得なかったであろう。陸路では馬の背に荷を積む程度であった頃、千石船の輸送力は絶大であったに違いない。海運こそが唯一の大量輸送手段であった長い歴史があって、日本に多くの港町が発達した。
  冬は荒れるが、春から秋にかけては静穏な日本海の特性とマッチした一年周期の北前航路。当時の産業も、農業、漁業といった一次産業が主体であり、一年周期で動いていた。このように物流と産業の周期が一致していたことが北前船の活躍の背景にある。
  産業の周期は近代工業化により週単位、日単位と短くなる。機械設備を要する工場では、毎日設備を動かすことが効率につながるからである。結果、物流も年中無休にしなければならなくなった。
  下関港も産業のリズムに合わせて年中無休。近代化は仕事に追われる日常を生み、季節感を希薄にする。でも、季節を楽しむ心の余裕は残したい。・・単身赴任寒々と、桜の花の咲く春を待つ。
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9.ババ抜き
  昨年の夏頃の出来事である。突然、マスコミ各社から木屋川河口部の海岸堤防工事についての問い合わせが殺到した。聞けば、現場で環境省の指定する絶滅危惧種のトンボが見つかったとのこと。その名も初耳の「ヒヌマイトトンボ」。レッド・データ・ブックに載ってるトンボがいたのなら、ルールに則り保護のために工法の見直しをする・・ということで、それ自体は大騒ぎする話でもなかった。
  しかし、良く考えると絶滅危惧種の保護には皮肉な側面があることに気づく。現在はレッド・データ・ブックに掲載される絶滅危惧種も、かつては日本の各地で当たり前のように生息していたはずである。それが開発行為によって絶滅を危惧されるまで希少になってしまったということである。
  よって、絶滅危惧種が発見される地域は全国で自然環境を最も大切にしてきた地域ということになる。それなら誉めてもらって然るべきところだが、保護という重荷を一人背負わされる羽目になる。自然保護の重要性を否定する気は毛ほどもないが、単に絶滅危惧種を指定するだけなら、まるでトランプ遊びのババ抜きと同じになってしまうのである。
  概して保護、保存という言葉は大儀名文となり得る美しい響きを持つだけに、過度に進む危険性をはらんでいるような気がする。
  かつて、油を取るためだけに世界中でクジラを乱獲した末、保護の美名を借りて他国の食文化までも簡単に否定する国もある。その結果、地域の主要産業を一つ失った下関では誰もが美しい響きを持つ言葉の危険性を実感しているはずである。
  大切なことは、言葉の響きではなく具体の内容なのである。幸い、下関では港の重要性に多弁を労す必要はない。海峡を眺めれば大小の船舶が数多く行き交っている。岬之町のコンテナ・ターミナルは貨物の増大によって既に満杯状態である。国際ターミナルに行けば、日々入港する関釜フェリーの活況を目の当たりにできる。オープン間近の水族館を始めとして再開発の成果が続々と姿を明らかにする予定である。
  国道を走りながら海側を眺めるだけでも港の活気が伝わるはずである。多くの方に海を眺め、海辺を散策して下関港を実感いただきたいと願っている。国道沿いの歩道には、かつて岸壁だった名残のボラードや車止めがあり、港の歴史も感じることができる。そのような名残を、今後の整備でも保存させるつもりでいる。
  私も保護、保存は大好きなのである。
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10.下着の秘密
  かつて高松港に勤務していた頃、港の一番のコンテナ貨物は、地元に本社を置く全国最大手通販の商品だった。貨物の研究も大切な仕事・・と、その本社を訪ねて、商品が如何に作られ、如何に運ばれるのか教えてもらったことがある。
  その商品は、適度な伸び縮みや保温性など高機能な素材を使うので素材自体は日本製を使い、それを中国に輸出して縫製し、再び日本に輸入しているとのこと。ただし、より高級な天然素材は本場である中国産を使用するとのことであった。何しろ港の一番の利用者でもあり、岸壁の舗装は商品に合わせてパステル・カラーにしましょうか・・と申し上げたところ、丁重に断られた。見れば単なるコンテナだが、中身を思うと妙な気分になったことを思い出す。これは、身近な商品が海外旅行の経験者であることの一例である。
  日本の皮手袋のほとんどを生産する町の話を聞いたことがある。なめしは国内で行うが縫製は中国で行うとのことであった。かつては町のご婦人方の内職仕事であったであろう縫製作業が、より人件費の安い中国に移ったのである。
  浴衣の話はもっと強烈である。ベトナムで織られた綿を一旦日本に輸入し、伝統の染め付けを行う。それを更に中国に輸出して縫製し、再び日本へ輸入するのである。実に一往復半の海外旅行を経験している。
  意外だったのが、伝統のラッキョウの漬物。日本でラッキョウを栽培するが、それを輸出して手間のかかる皮むきは中国で行い、塩漬けの状態で日本へ輸入する。そして、秘伝の漬け汁で仕上げて瓶詰めにするらしい。
  円高により日本と他国の人件費の差が広がったことと、コンテナ化の進展により国際物流コストが相対的に低廉になったことを背景として、労働集約的な作業が人件費の安い海外へ移った結果であり、これが国際分業の一側面である。
  かつては工場と消費者を結んだ国内物流が、貿易を挟んで工場〜港湾、港湾〜消費者といった具合に姿を変え、身近なあらゆる商品が海外旅行の経験者となる。この結果、経済成長率よりも遥かに高い率で国際コンテナ貨物量が伸びるのである。
  経済の成熟で貨物は増えず、下関の沖合人工島は不要・・といった意見の過誤がここにある。国際競争力維持の努力が生産の海外移転を進め、様々な商品が昔より割安になった。
  でも私は、割安だからと安易な買い替えをするよりも、一つのモノを大切に使っていた子供の頃が懐かしい。
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11.マングース
  二つの町を結ぶ輸送を行う場合、二台のトラックを用意し、ぞれぞれの町に一台づつ置いて荷を積み、他方の町へ運べば事足りる。同じことを三つの町で行おうとすると、それぞれ二台のトラックが必要になるから、合計六台のトラックが必要になる。そして、同じことを百の町で行おうとすれば単純計算で九千九百台のトラックが必要になる。これでは、数多くの町の間を結ぶ輸送サービスは到底不可能のようである。
  ところが、世の中には頭の良い人がいるものである。百の町の中に一個所だけ特別の町を決め、残りの九十九の町に一台づつのトラックを用意する。そして、行き先に関わらず、まず全ての荷を特別の町に集める。次に、集めた荷を行き先別に仕分けし、先に荷を集めてきたトラックを使って荷の届け先へ配る。そうすれば九十九台のトラックで百の町の間の輸送に対応できるのである。
  このように、特別の場所を決めて、そこに全ての荷を集め、仕分けをしてから配送するという手法により、数多くの地点間の輸送を合理的かつ迅速に行うことを「ハブ方式」という。この「ハブ方式」を考案し、最初に実践したのが航空宅配便で有名なフィデラル・エックスプレスである。その時、貨物を集めた空港と他の空港との関係が、自転車の車輪のハブとスポークの形に似ていたということらしい。
  現在、良く聞く「ハブ空港」、「ハブ港湾」といった言葉の意味がご理解いただけたであろうか。お隣の北九州港では、響灘をアジアのハブ港とすべく着々と準備を進められているようだ。
  確かに、関門地域は中国黄海沿岸諸港の扇の要の位置にあり、アジア〜北米航路にも接す。釜山港の成功が示すように、地理的条件は整っている。後は、低廉かつ迅速な積み替えサービスの実現と幅広い航路網の誘致ということになろう。隣組として、今後の成り行きは大変興味深いところである。
  一方、隣のハブ港化が下関港に及ぼす影響を過度に懸念する向きもあるが、私は極めて楽観的である。何故なら、下関港はハブ港ではなく、対韓貿易を基軸とする本州のゲート・ポートであり、特定の港湾との高頻度の航路サービス、迅速な通関体制、本州各都市への優れた陸上交通アクセスなどによるスピードの競争優位を重視しているからである。
  そして、近年の貿易量の拡大が、この戦略の正しさを実証している。
  ハブに負けないマングース・・下関港のゲート・ポート戦略である。
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12.スピード時代
  暑い日にアイスクリームを買えば、誰でも急いで家に帰る。何故なら、ノンビリしてると、帰る途中でアイスクリームが解けてしまうからである。これが、モノを急いで運ぶ単純な理由である。
  時間の経過と共に価値が下がるような貨物は、早く運ばなければ損をするので、スピードある物流が必要となる。分かり易いのは時間と共に腐るナマモノである。例えば、生鮮野菜は新鮮なほど消費者に好まれ、腐れば売れなくなる。故に産地から商店へ急いで運ぶのである。
  衣料品もナマモノの特性を持っている。衣料品そのものが腐る訳ではないが、そのデザインが腐るのである。四季の気候を楽しめる日本では、春モノ、夏モノといった具合に衣料品は最低でも年に四回の商品転換を行う。
  よって、一つのデザインが売れる期間は極めて短く、その期間に売れなければ年を越すことになり、そんな年越し商品を流行を無視して買う物好きはいない。店に出して売れるか否かが初めて分かり、売れる時期が限られ、その時期に売り損ねると価値を失うのが衣料品の特性である。
  故に、衣料品を大量に生産して大量に在庫を持つと、売れれば大儲け、売れなければ大損ということになる。これでは、ハイリスク・ハイリターン型の商売である。そして、少しでも商品転換時の売れ残りを減らすためバーゲン・セールを行うことになる。
  少しだけ生産して在庫を少なくすれば良さそうだが、たまたま売れ筋になった場合に、せっかくの儲けを逃すこととなってしまう。
  これらの問題を解決するのがスピードである。売れ残りを出さないために少量しか在庫を持たないが、売れるとなれば急いで作り、急いで運べば良い・・ということである。
  生産から販売までの時間を出来るだけ短くすることで、売れ残りの無駄を最小限に押さえながら売りつづける。スピードが確実に利益を上げる商売の要となったのである。
  このような考え方は、デザインや機能を売り物とする様々な商品にも当たる。例えばパソコンも性能進化が速く、売れ残れば商品価値を失うという意味でナマモノである。同時に、その特別仕様の部品も、商品が無用になれば無用になるので、やはりナマモノとなる。
  今日、スピードある物流が求められ、下関港のスピードが評価されている理由がここにある。
  下関港の貿易貨物は、ほとんどがナマモノ貨物であり、そのことがスピード時代の寵児たる下関港の確証となっている。
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13.酒の効用
  話題の二足歩行ロボット。その開発の苦労を聞くと、人が普段何気なく行っていることも、実は大変に複雑であったということに気づく。
  人が歩くとき、無意識に自分の姿勢を確認し、倒れない様に補正しているのである。その姿勢の確認を行うのが、両耳にある三半規管である。揺れない地面の上での姿勢制御は簡単であるが、揺れる場所では倒れないように頻繁に姿勢を補正しなければならない。そのため、普段の何倍も三半規管を使うこととなり、三半規管が疲れてしまう。これが船酔いの正体である。
  目を使い過ぎると頭が痛くなるように、三半規管を使い過ぎると気分が悪くなるのである。三半規管が疲れるほど揺れる場所を陸上で探すのは難しいが、波間に浮かぶ船に乗れば間違いなく揺れる。船酔いの「船酔い」たるゆえんである。英語では「シー・シック」、直訳すれば海病となるので発想は同じである。
  この船酔いについて、最初に真面目な研究をしたのが第二次世界大戦時の米軍である。波の荒いドーバー海峡を渡るノルマンディ上陸作戦で、せっかく上陸した兵隊が船酔いでは負けてしまう。船酔い対策が上陸作戦の成否を握っていたのである。
  そこで、若い兵士を無理矢理に揺すって、船酔い実験を行った。実験の結果、揺れの周期が4〜14秒程度の範囲で、揺れの加速度に比例して船酔いになることが分かった。
  日本海の高波の周期は概ね8秒、太平洋では10〜12秒である。荒海に出れば、船酔いして当り前ということが理解できる。  船酔いの原因が三半規管の疲れと分かれば、その対策も立て易い。三半規管が疲れないようにすれば良いのである。大切なことは、頑張って姿勢を補正しようとしないことである。横になったり、椅子に身を預けて、揺れに身を任せれば良い。更に、フラフラになるまで酒を飲めば確実。酒の酔いは船酔いに勝るのである。逆に、プロ・カメラマンを船に乗せると、アッという間に潰れる。揺れる中で揺れない画像を撮るのがプロの習性だからである。
  船旅の大敵、船酔いの対策は船の方でも進んでいる。大型の船舶ほど揺れが少ないし、更に安定翼によって横揺れも制御できる。
  関釜フェリーの新船「はまゆう」にも、揺れないための様々な工夫がされており、旅客ばかりか、活魚車の魚も元気になったと聞く。
  魚も船酔いする(?)らしい。
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14.年の功
  唐戸に、国土交通省の大幹部も若かりし頃は常連だったIという居酒屋さんがある。そこで夕食替わりの一杯を飲んでいたとき、八十歳を超えた店のお母さんは別格として、手伝っているお嬢さん、他のお客さんの全てが私より年長であった。私も若くはないと思い始めていただけに、高齢化社会にあることを改めて実感した出来事であった。
  人が年齢を自覚するのは三通りである。まずは、身の回りの人々との対比。職場に入った当初は先輩ばかりに囲まれるが、気がつけば後輩ばかりとなっている。そこで、自分も歳かな・・となるわけである。
  次に身体的変化。何故か雨に敏感になり、新聞を読むときにメガネを外すようになる。人に言えないようなことを含めれば数え切れない変化がある。
  そして三つ目が経験である。港湾技術者である私にとって災害体験も年齢の自覚につながる。本で勉強し、先輩の体験談を聞くだけだった地震、台風といった災害も、神戸震災を身近に体験し、また、下関に赴任して十八号台風の高潮被害を体験した。これで私も、今や一人前の災害体験者となった。
  地震や台風は五十年に一度とか百年に一度といった確率で発生するであろう現象を設計に用いる。よって、それ以上の現象が発生すると、施設が破壊して災害となる。
  五十年に一度とか百年に一度発生するから、人は人生に一度か二度は災害を経験する。その結果、災害体験者が必ず存在するので、災害を災害として認知する。「忘れた頃にやって来る」とは、人生に一度以上経験するということであろう。
  逆に、地球に大衝撃を与えた小惑星の衝突が「地震・雷・火事・おやじ」から仲間はずれにされているのは、被災の経験者たる恐竜族が既に滅亡し、災害体験者が存在しないからである。
  震災の折り、神戸に住む母親に電話をかけると、「戦争中に比べたら何でもない・・」との平然とした言葉が返ってきたことを思い出す。これが経験者の強みである。
  確実に到来するであろう高齢化社会。多くの課題があることも事実であが、同時に、社会に占める災害体験者の割合が間違いなく増加する。結果、ちょっとの災害には動じない年の功社会となる。
  十八号台風での冷静な市民の対応も、八十を過ぎて元気に頑張るお母さんの存在と無縁では無いのである。
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15.二都物語
  東京勤めから下関に移って何より幸せなことは、職住近接し、徒歩で通勤できることである。かつて長距離通勤していた頃は、終電の時間があり、それに間に合っても酔いのせいで駅を寝過ごすことが度々。結果、深夜の行軍を行う羽目になる。このお陰で、電車では二十分の距離が、歩くと六〜七時間もかかることを体で学ぶことができた。
  さて、日本を代表する港町と言えば横浜、神戸である。そして、横浜〜東京、神戸〜大阪が共に電車で二十分程度かかる。
  これは単なる偶然の一致ではない。江戸時代からの中心都市である江戸と堺から、ちょうど等距離、人の足で朝に発てば夕刻までに到達できる距離に横浜と神戸という港が開かれたのである。
  恐らく、長い鎖国の後に港を開くこととなり、外国文化の刺激を緩和し、外国人との無用な摩擦を避けるため、人の集まる江戸や堺と一定の距離を置きたかったのであろう。また、余りに離れると交易や交渉に差し障りがあるとの考え方も働いたに違いない。
  港が開かれた時の横浜、神戸は、共に人口も少ない寒村であったという。同時に、それぞれが大湾奥部に位置し、船舶の入港に適した天然の良港の条件を備えていたということを忘れてはならない。
  やがて、港湾との連絡の重要性が増し、日本でいち早く鉄道が敷設されるのが新橋〜横浜、そして大阪〜神戸である。既存の大都市と距離を置いて港を開いたことは、結果として既存の土地利用が無かった分、港湾のための自在な土地利用を可能とし、両港の発展に寄与した。
  現在、国際化が進み、外国文化の干渉を気にする必要はない。港湾技術の進歩は、天然の良港を必ずしも必要としなくなった。既に成熟した港湾都市となった両港には、かつての土地利用の自由度は残されていない。結果、両港は後発の東京港、大阪港との競合」。
  では、下関港はどうであろう。日本海の冬季風浪に対する天然の良港、九州への重要な海上連絡路など、かつて港が位置し発展した幾つかの要因は、現在やはり色褪せてきている。
  が、少なくとも朝鮮半島に最も近接する本州唯一の港湾という条件だけは、親密度を増す日韓関係の中で輝きを増しているのである。
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16.人のうわさ
  市港湾局に、かつて「豊前田の帝王」と呼ばれていたとうわさされる職員がいる。真面目で仕事熱心な職員だけに、私にとっては不思議な話である。しかし、そんなうわさを聞くと、奥方からの電話に応対する低姿勢に、何か頭が上がらない事情でもあるのかと思ってしまう。うわさが先入観となって、人の判断に作用するのだ。
  公務員の楽しみは、春の人事の天気予報である。こんな話があるのでは・・と誰かに話すと、その話が何人かを経て、言い出した本人に聞こえてくる。これをうわさの山彦効果と呼ぶ。
  すると、最初に言い出した人間は、他からも同じ話が聞こえてきた・・と自らの予報に確信を深め、確証を得たと人に伝える。うわさの山彦効果によって、いいかげんな話が、段々と現実味を帯びてくる。
  かくの如く、うわさには自己補強し、自己増殖する力が備わっている。尾ひれ、背びれ・・とは良く言い当てたものだ。
  近年、貿易額が急速に伸びている下関港。その理由の一つは、ソニーさんが韓国向け部品輸出を昨年から下関港に集めたたことである。一般の方々にはプレステ2やバイオの部品が下関港に集まっている・・といった方が分かり易い。
  今や、パソコンや家電製品も、出来るだけ安価な部品を国内外から集め、それを人件費の安い国で組み立てるようになっている。電気製品は、高度な日本製の部品を含め、アジア各地で製造された部品の集合体であり、そういった意味で国際的商品なのだ。
  いずれにせよ、ソニーさんが部品輸出を下関に集めた・・とのうわさ(事実)は、業界に衝撃を与えたようだ。そのお陰で、「ソニーさんが選んだ大変便利な下関港」との評判が全国に広まった。実際、別の国内大手コンピューター・メーカーから下関港の利用についての問い合わせもある。
  企業ブランドと、その企業が貨物を下関港に集めたというダイナミックな行動が相まって、下関港の便利さが全国に情報発進されたのである。
  実態の伴ううわさの自己補強力、自己増殖力は抜群である。便利な下関港とのうわさが貨物を呼び、更に、それがうわさとなって下関港の便利さが広められる。
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17.赤い糸
  隣の芝の喩の如く、自分のモノより、他人のモノが気にかかるのが人の常である。芝なら良いが、大安吉日の結婚式場でも似たようなことが起きる。赤い糸で結ばれた二人の試練の始まりである。
  より良いモノを得ようとする人の本能的欲求が、既に得たモノへの関心を薄めるのである。結果、得たモノの真価に気づかないのは、自分だけ・・ということになってしまう。
  昨年、空前の輸送実績とともに就航30周年を迎えた関釜フェリー。韓国釜山港との近接性を活かし、日本で唯一のデイリー・サービスを誇る下関港の国際定期フェリー航路である。そして、毎日運行する国際フェリーが就航するからこそ、下関港は日本で一番に365日の即日通関が可能な港湾となった。
  つまり、旅客と貨物がフェリーで毎日入る下関港では、CIQ(税関、入国管理、検疫)の体制が充実しているということなのである。
  地元では身近過ぎる関釜フェリーも、実は日本一の航路であり、下関港の利便の象徴であり、源泉であると言えるほど地域にとっては貴重な航路なのである。
  関釜フェリーの優位性は、旅客も運ぶことに由来する就航率と定時性の高さ、船体の振動の少なさ、安全への配慮等であり、また、シャトル便であることによるスピードと確実性の高さである。時間に遅れれば声高に文句を言う旅客を乗せているからスケジュール厳守は絶対であり、下関港と釜山港の間を往復するシャトル便だから、遠回りすることもなく、貨物のおろし忘れもあり得ない・・といった具合である。
  関釜フェリーの強さは、夕方に船積みを確認すれば、旅客とともに翌朝には安全かつ確実に相手港に到着するであろうという荷主の信頼感なのである。
  そのことを説明する時、「国際コンテナが空港で預ける荷物なら、国際フェリーは機内持ち込みの手荷物のように安心・・手荷物なら紛失の心配もなく、また、見えないところで乱暴に扱われる心配もない故・・」と言うと分かり易い。
  関釜フェリーがあって、下関港は対韓貿易における全国的拠点となり、16万人を記録した利用客が、下関市に新たなビジネス・チャンスを広げてくれる。
  親密度を増す日韓関係を背景に、下関市が国際港湾都市として、更なる発展を期すことが出来るのも、関釜フェリーという赤い糸のお陰なのである。
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18.箱入り娘
  嫁に出すまで、世間の俗臭に触れずに大切に育てた娘を「箱入り娘」という。
  この言葉は、女性の社会参画の潮流の中では、世間知らず・・との否定的意味合いを増しつつ、既に古風な表現となってきたような気がする。
  いずれにせよ、外部からの作用、刺激を遮断することを「箱入り」という言葉で簡潔かつ明瞭に表現できるのは、箱に入れれば汚れず、壊れずにモノを保管できる・・という人々の共通体験による。
  例えば、宅配便など多くの貨物はダンボール箱に入れて運ぶ。積み上げることが出来る適度な強度、揺れや衝撃を緩和する適度な弾力、そして適度なコスト。ダンボール箱が普及したのが当然と分かる。
  このようなダンボール箱が一台のトラックには百個〜二百個程度は積み込める。引越しのように一台のトラックで運ぶだけなら、その荷物の積み下ろしは人力で足りる。しかし、港で数多くのトラック貨物を船に積み込むような場合、いちいちダンボール箱をトラックから取り出して積み込んだのでは手間がかかる。
  それなら、トラックをそのまま船に積み込む方が手間がかからない。・・と賢い人間は考える訳である。かくして、トラックをそのまま乗せることができるフェリーが造られ、また、トラックの貨物部分だけを鉄の箱にして分離できるコンテナ輸送が生まれた。
  コンテナの優れたところは、様々な形の貨物であれば取り扱うのは手間がかかるが、同じ形の丈夫な鉄の箱に収めることによって輸送の手間を省けることである。
  つまり、コンテナに何が入っていようと、運ぶ側にとってのコンテナは同じ形をした丈夫な鉄の箱である。鉄の箱だから、雨風が気にならず、簡単に積み上げることができ、作業の機械化も進められる・・といった具合である。
  このように、貨物のコンテナ化が港湾での荷役作業を簡易にした結果は、海運市場への新規参入の拡大〜価格競争の激化〜海上輸送運賃の低減〜国際分業の進展・・と連鎖し、波及した。コンテナ化が物流革命と言われる理由がここにある。
  岬之町のコンテナ岸壁に聳え立つキリンのようなガントリー・クレーン。
  キリンがコンテナをつり上げる度にチャリン、チャリンと下関港の貨物が増えていく。
  箱入り娘の商品が海を渡って運ばれる。
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