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港町下関考

“港町下関考”は「みなと山口新聞」で平成12年1月からスタートした連載です

No.1〜No.18|No.19〜No.36|No.37〜No.54|No.55〜No.72|No.73〜No.88完
55.歴史の投影 56.相似型 57.これから本番
58.続・これから本番 59.CIQ様々 60.全国津々浦々
61.妻達の後悔 62.知りたくないの 63.内緒々々
64.私のワイン選び 65.ドボドボ 66.家族の情景
67.喜びも悲しみも 68.港でデート 69.エレベーター・パラドクス
70.出島ロマン 71.解説・出島ロマン 72.山と海の間で
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55.歴史の投影
  人類の歴史とともにある海運。エジプトのパピルス船、地中海交易、大航海時代の帆船など、世界史的キーワードからでも、船で人とモノを運ぶことが古来からの人々の営みの一部を構成していたことが分かる。
  何しろ、船乗りは世界で二番目に古くからある職業と言われている。では一番は・・などと野暮は聞いて欲しくない。
  日本でも、邪馬台国の時代から大陸との間で海を渡る交流があった。栄枯盛衰。平清盛は兵庫の港を開いて対中貿易で栄え、船と航海術があって成り立つ壇ノ浦の合戦で平家は滅びる。
  これに対し、海運以外の輸送機関である鉄道、トラック、航空機。いずれも極めて歴史が浅い。鉄道輸送はワットの蒸気機関の発明の後であり、日本では新橋〜横浜に始る鉄道網が国内に広がるるのが明治の後期である。自動車もT型フォードの普及以降ようやく実用に供される。そして飛行機はライト兄弟が初めて空を飛んで百年程度であり、輸送サービスが本格化するのは戦後である。つまり、海運以外の輸送機関は、いずれもが日本では二十世紀に実用化したといっても過言ではない。
  このような海運と他の輸送機関の歴史の違いは、様々な形で現在の港湾のあり方にも投影されている。
  例えば、航空輸送に対する国家の権限は極めて強力であるが、港湾関係では国家の権限は相対的に弱い。何故なら、近代国家が成立する以前から営まれていた海運、港湾では、政府が何らかの規制を行おうとしても、それに抵抗する既存の事業者が常に存在したからである。
  自動車の運転ではあってはならない飲酒運転が、船の操縦では問題にされないのも歴史の威力と言えるかもしれない。
  例えば、下関港の歴史を見ても、明治、大正期に港湾拡張に反対したのは、水際線の既得権に固執した北前船の問屋衆であったという。
  港湾運送、倉庫に加え、水先案内、タグ、綱とり、給水など、多様なサービス業態が分立して関与するのも、また港湾の長い歴史の表われである。あたかも古くから生息する生物が、長い時間をかけて突然変異を繰り返しながら種の多様性を生むのに似ているような気もする。
  複雑と言われる港湾も歴史の投影として見れば理解しやすいから不思議である。
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56.相似型
  高松勤務の頃、美しい港づくりの範を求めてオーストラリアのシドニー港を訪れたことがある。
  この視察団を結成するに際し、県の課長さんに「シドニーに行きませんか」と誘ったところ、「志度に行って何するの?」と問い返され、ハレレ・・となったことを思い出す。そう、香川県には志度という町があったのだ。
  このようなエピソードも残しつつ、シドニー港を視察した結果、現在の高松港サンポート地区はシドニー港風に仕上がっている。
  その時、四国高松からオーストラリアに旅行したからこそ気づいたことがある。四国とオーストラリアの地形が似通っているのだ。これは大発見・・と、その後しばらく講演ネタにしていた。
  ところが、このことは戦前の日本では有名な話だったらしい。
  つまり、北海道は北米、本州はユーラシア、九州はアフリカ、そして四国はオーストラリアにそっくり・・というのである。確かに、どれも形が似ている。
  そして、世界の大陸にそっくりの日本列島は、世界の凝縮であり、日本が世界を統治するべきことを示す・・といった論調であったようだ。戦前の日本を思えば、それなりに世の中に受け入れられたのだろう。
  後段はさておき、世界の大陸にそっくりな日本列島。それぞれの地域が世界のそっくり大陸と付き合いを分担するのも今風で悪くない気がする。
  さて、地形のそっくりと言えば、山口県と下関市も似通っている。
  本州最西端に位置し、三方を海に開かれた下関市。形状は概ね三角形。緑に恵まれている分、地に乏しく、市内の各地域が山地で分断される。
  この下関市の形容が、そのまま山口県にも当てはまる。地質的な特質は、下関市が山口県の一部であるから、当然といえば当然。地形的にも・・内角を共有する三角形の両辺の比が同じであれば、相似形・・という幾何の定理の通りである。
  そこで下関市が山口県の縮図だから、下関市が頑張るべき・・などと時代錯誤の論を展開する気はない。スケールが違っても、似通った地形だからこそ、似通った行政課題を持つ山口県と下関市である。県市共通の特異な地形条件に見合った政策モデルを共に研究するのも悪くはない気がしているだけなのだ。
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57.これから本番
  一昨年九月の台風十八号。雨や強風の被害もあったが、何より空前の高潮による被害は甚大であった。これまでの想定を越えた海面の上昇によって陸地が海になってしまったのだから大変だ。
  海水の浸入した低い地盤では、家屋、自動車など全てのモノが海水に浸かった。また、陸地なら絶対に伝わってこない波が、海水と共に陸地を襲う。この波のために家屋の倒壊など単なる浸水に留まらない被害が引き起こされる。
  さらに、馬鹿に出来ないのが海水の浮力である。空中では重いはずのモノが海水の中では浮かんで流されてしまう。自動車も冷蔵庫も港のコンテナもプカプカである。
  この現象は、浸水した陸地だけでなく、海の中でも発生する。海辺の波を見ていると、沖から来る大波も水深が浅くなるに従って弱められる・・ということは、海面が上昇し、水深が大きくなると、弱くなるはずの波が大きいまま来襲することになる。
  また、水面が上昇すると防波堤に働く浮力が普段より大きくなるので、波に対する抵抗力が弱められる。
  襲う波が大きくなり、抵抗力が弱められるのだ。結果、大きな防波堤もあっけなく倒壊してしまう。
  さて、このような被害を生じる高潮。台風の低気圧が海水を持ち上げ、さらに台風の風が海水を陸地に吹き上げることによる異常な水位上昇により発生する。
  台風の風は、台風の目を中心に反時計回りに吹くので、台風と陸との位置関係が吹き上げの有無を左右する。だから、高潮が発生するか否かは、台風が何処を通るかで決まる。
  次に、タイミングも重要である。例えば、瀬戸内海、関門海峡の近辺は潮位差が二メートルを越える。だから、もし台風が高潮コースを通っても、干潮の時には大丈夫。満潮位まで二メートルを越える余裕があり、台風で海水面が一時的に上昇しても高潮災害は発生しない。
  高潮は、正に台風のコースとタイミングにかかっている。台風十八号の場合、コースはもちろん、大潮の満潮時という最悪のタイミングだったことが甚大な被害につながった。
  ここで教訓・・・台風は気まぐれだが、潮の満干は規則正しい。そして、高潮は満潮期しか恐くない。だから、予測可能な満潮期に高潮を警戒すれば良いのである。
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58.続・これから本番
  地震なら一度被害を受けると、しばらくは安全と言える。地震は、地底深くの岩盤が地殻変動で歪み、それがバネのように弾けて生じるものだから・・一度弾けたバネが再び縮むのには、それなりの時間がかかるということなのだ。
  でも、台風は違う。台風は太陽に暖められた大気の現象だからだ。太陽がある限り、コースや規模は違っても毎年、必ず日本にやって来る。
  そして、私のように毎度パチンコで大負けする人間もいる。確率の通りなら時々は勝てるはずなのだが、そうならないのが確率の妙。だから、台風十八号の高潮が計算上は数百年に一度・・と言っても、今年は絶対大丈夫とは言えない。
  そこで、高潮の被害を食い止めるための海辺の防護も港湾の仕事である。しかし、技術の限界や様々な制約があって、今はまだ高潮に対する守りは盤石とはいえない。
  それは、今までは大丈夫だろうと思っていた地盤高さが、実は足りないことが台風十八号で明らかになったからだ。
  波なら、防波堤や堤防を建設すれば、ある程度押さえることが出来る。が、海水面が地盤の高さを越える場合に、浸水を防ぐことは技術的に極めて難しい。
  一戸々々の家屋であれば土地の嵩上げをすれば済むだろう。が、既に建築物などがあり利用されている広い土地を守るのは勝手が違うのである。
  考えられる手は、土地の周辺を丈夫な防水壁で囲むことだが、人やクルマの日常の通行を遮断する訳にはいかない。さらに、排水管も海水が逆流して来ないようにしなければならない。また、川があれば、海水の浸入を防ぐために、その両岸も嵩上げしなければならない。
  これらの対策を全部行うには、巨額の資金と膨大な時間が必要になる。しかも下手をすれば、突然浸水し、排水に時間がかかる・・という問題をかかえる可能性もある。そして、台風の来ない時には、不便とか景色が悪くなったと言われるに違いない。
  これが、三方を海に開かれた下関の悩みである。
  よって、何もかもハードに頼るより、市民一人々々の心構えも含めたソフトな対応が大切だと私は考えている。
  背広を着て雨に濡れれば大被害だが、水着で海に入るのは平気・・この違いが重要なのである。
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59.CIQ様々
  下関港の自慢。国際フェリー航路では、日本で唯一のデイリー・サービスを提供している関釜フェリーが、八月から一段と便利になった。
  今まで夜六時出港だったのが、これからは夜七時の出港に時間変更された。この日本側のスケジュール変更に対応して、韓国釜山港の方でも入出港のスケジュールの見直しが予定されている。
  この変更のお陰で、近隣にお勤めであれば仕事を終えてから韓国旅行に旅立てる。
  また、昨年の旅客実績が十六万人。旅客が船で過ごす時間が一時間短くなるので、合計で十六万時間の節約。単純に一人当たりの時間給を千円としても年間で一億六千万円儲かる計算になる。
  フェリーに乗せる貨物にも、この変更は大きな意味を持つ。例えば、納期に間に合わせるための工場の超過勤務を一時間節約できるようになるかもしれない。あるいは、トラックの輸送時間に余裕ができて無理にスピードを出さずに済むので交通事故対策にも役立つだろう。
  さて、このスケジュール変更。船のスピードが上がったから・・という訳ではない。元々、下関港から釜山港は、広島より近い二百二十キロ。船の速度が時速三十キロ弱だから約八時間の距離である。それが夜六時に出港して朝の八時半に入港していた。つまり、八時間の距離を十四時間半かけていたのである。
  実際、船は深夜の二時には相手港に到着し、朝を待って入港していた。下関港なら六連沖、釜山港なら湾内に停泊して時間調整をしている。
  何故なら、国際フェリーの入港には税関、入国管理、検疫のCIQ職員の立ち会いが必要で、深夜の対応には無理があるからだ。そして、旅客も深夜の街に放り出されては困ってしまうだろう。
  それでも、下関と韓国釜山の近接性を活かすため、CIQの理解と協力があって船出の時間を遅くすることが出来た。
  このお陰で、旅客が増え、貨物が増えれば、下関港は万々歳。これが地域の立場である。一方、CIQは国の機関である。だから、下関港だけ特別扱いは出来ない・・というのが本来の立場なのだ。が、地域のために役立つなら・・と、無理を聞いてもらった。
  公務員削減のかけ声ばかりが聞こえる昨今だが、国際化の時代、港を便利にするために増やして欲しいCIQなのである。
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60.全国津々浦々
  多くの地名に使われる「津」や「浦」。これらは港を意味する言葉である。恐らく、天然の良港に相応しい内湾や砂浜。その地形的な特徴で使い分けされていたのだろう。「津」の代表は何といっても三重県津市。伊勢湾に面し、津松坂港がある。また、遠洋漁業の基地として有名な焼津漁港がある静岡県の焼津市。ここにもしっかり「津」が入っている。更に、大阪港は昔は難波津と呼ばれ、神戸辺りまで含んだ国名が津の国と称されていた。それが、国名を二文字に統一することとなって摂津国となったと聞く。
  そして、内湾では通常大きな波に襲われることは無いが、地震の時は事情が変わる。そう、津波に襲われるのである。
  一方の「浦」。浦といえば、何といっても亀を助ける浦島太郎。亀を助けるには、亀が上陸しなければならない。だから「浦」は亀が上陸できる海浜地形を指すに違いない。そして、今日でも小型船は浜に引き揚げて保管する。これも港の原形である。
  そこで、京浜工業地帯の一角を占める千葉県袖ヶ浦市。日本武尊(やまとたけるのみこと)が相模国から東征のため走水(東京湾)を渡るとき、大時化を静めるために身を投げた妃の袖が海岸一帯に流れ着いた・・との伝説が地名の由来とされている。やはり、「浦」は海浜地形を指すのである。
  下関にも壇ノ浦がある。「浦」だから、きっと源平合戦の頃の壇ノ浦には砂浜が広がっていたのだろう。
  「津」や「浦」の他、「泊」も港を意味する言葉である。昔の航海術は島や陸に見える山など、景色を目印に自船の位置を測っていた。だから、景色を読める昼間しか航海しない。このため、夜は港に入って朝を待つ。港が泊る場所なのだ。
  彦島にある南風泊。春から秋、波静かな日本海を航海する北前船。しかし、時として吹く南風には船を出せなくなる。だから、南風が収まるのを待つ港が必要だったのだ。南風が吹くと停泊する港。それが南風泊である。
  全国津々浦々。日本に港が多くある・・ということなのだ。実際、漁港と港湾を合わせれば日本の港は四千を越え、港湾は概ね千港ある。その中で下関港はトップクラスの港湾である。
  が、そのことを地元の皆さんはあまりご存知ないようだ。きっと、身近過ぎて当たり前なのであろう。
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61.妻達の後悔
  あの人を結婚前に知っていれば、アナタなんかと絶対に結婚しなかった・・などと女房から責められ、俺も・・と、心で同じ言葉を呟きながら黙って下を向く。
  平和な家庭を守る悲しい亭主道である。
  そう、世の中にどんなに素敵な人がいても、その人を知らなければ友達にもなれないし、恋愛も出来ない。出会いがなければ始らないのだ。
  出会いの大切さは、人間関係にとどまらない。港にとっても出会いが大切である。船との出会い。貨物との出会い。様々な出会いがあって、初めて港が発展する。
  先般、中国の某船会社から是非とも下関港へ航路を就航させたい・・との申し出があった。先方が随分と熱心だったので意外に思っていたが、中国に出張の折り、その会社を表敬訪問して謎が解けた。答は、その会社の会議室に掛かっている世界地図にあったのだ。
  その地図で日本の港を探すと、確かに「下関〜門司」と記載されている。だが、瀬戸内海を見渡して下関の次は神戸まで何も無い。山口県内には下関港の他、宇部、小野田、徳山下松と大きな港があり、広島県には広島港、岡山県には水島港があるはずなのだが、これらが記載されていなかった。
  知ってなければ、無いのと同じ。下関港にとっては、最初から競争相手が居なかったのだ。
  これが全てでは無かろうが、確かに下関港の認知度は高い。歴史があり、対岸の北九州港とともに「関門港」として認知されている。このお陰で、今回は得をした。
  でも、知ってもらう努力を怠れば、下関港も忘れ去られることになるだろう。何故なら、港を知るのは人であり、人は世代交代を繰り返すからである。
  現に、対岸の釜山港では、下関港の存在感が薄らぎ始めているらしい。何故なら、大都市を控えた博多港の存在感が大きくなってきたからだ。同じようなことは国内でも起こっている。
  だからこそ、ポート・セールスは欠かせない。まず、港の名前を覚えてもらい、便利さ理解してもらう。でも、利用を頼むことは決してしない。船にとっても、貨物にとっても港選びはビジネスだからだ。
  では、どうするのか。今、使わないと後できっと後悔しますよ・・と言えば良い。何故なら、下関港はホントに便利な港だから。
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62.知りたくないの
  この季節、蚊に刺されると日本脳炎にかかると聞かされ、子供心に心配したことを思い出す。
  今は、家ダニがアレルギーの元と聞いて、空しく殺虫剤を炊いている。空しいのは、家が隙間だらけで、殺虫剤も大した効果が無いからだ。その分、人体への影響も無いから安心といえば安心。
  また、大気の二酸化炭素濃度が増えて地球の温暖化が進んでいると聞くと、夏の暑さも特別に厳く感じてしまう。
  しかも、フロンガスなどが大気圏のオゾン層を破壊し、紫外線の量が増えているらしい。紫外線が増えて水虫が治るのならうれしいが、足は靴の中。紫外線で皮膚の老化が進み、皮膚癌になると聞くと、外に出るのが嫌になる。
  知ってて得をする話なら嬉しいが、そればかりでは無い。知らない方が幸せ・・ということは案外に多い。
  「幸せな人」という言葉には、時として無知、苦労知らず・・といった皮肉な意味合いが込められることがある。が、苦労を経験しない方が幸せであることに間違いは無い。そして、知っても心配性になるだけなら、知らない方がマシである。
  現に、多くの人々が様々なことを知らないままに過ごしている。
  例えば、物流。その大切さを理解する人は少ない。大抵の人は食料品や日用品はコンビニから湧き出るものと思っているからだ。コンビニの舞台裏がどうなっているか・・など、買い物客にとってはどうでも良いのだ。
  港湾も大抵の人々には無縁である。何故なら、多くの人々が直接の利用者となる道路や空港と違い、港湾の直接の利用者は、大抵の場合、物言わぬ貨物だからである。食料品や衣料品など多くの商品が港湾を経由して、人々の手元に届くのだが・・、それを知らなくてもデパートやスーパーでの買い物に困ることは何もない。
  ところが、知らなくても済むことを学ばなければならない時がある。
  神戸震災で物流が途絶し、神戸港の機能が停止した。すると、日頃コンビニから湧き出すはずの食料品や日用品は無く、人々の生活は救援物資に支えられる。
  神戸港からの部品輸出が止まり、マレーシアの自動車工場まで操業出来なくなった。
  皮肉にも震災が、物流や港湾の大切さを教えてくれたのである。
  でも私は、そんな形で下関港の大切さを知りたいとは思っていない。
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63.内緒々々
  男女の仲は秘めごとで深められ、仲間意識も秘密を共有することにより強化されるという。
  このことは、集合論として考えると分かり易い。
  つまり、仲間と仲間以外の人々とを区別する何かがあって、仲間という集合が定義される。そこに、更に秘密を知るか、否かの新たな区別が追加される。結果、仲間という集合の定義が強化されるのである。
  仲間以外には分からない言葉やルールを用いるのも秘密の共有である。
  例えば、テニスの点数。韻を踏んでいるのだろうが、ルールを知らない人間が聞くと妙な具合である。これは、貴族の遊びであったから、庶民が聞いても簡単に理解できないようになっている・・との説がある。確かに、羊飼いの遊びに始るゴルフの方がスコアーの数え方は単純である。
  一方、専門用語や業界用語も仲間内でしか通じないことが多い。結果、そのような言葉を用いることで、仲間であることを確認する効果があるようだ。が、元々排他的な意図など無いので聞けば簡単に納得できる。
  例えば、工事現場でよく見かける黄色と黒色のまだらのロープ。「トラ・ロープ」と聞いて妙に楽しくなる。同く、黄色と黒色の縞模様は「トラ・マーク」である。
  アスファルト舗装は「黒舗装」と呼び、コンクリート舗装は「白舗装」と呼ぶ。港の貨物で岩塩や小麦粉などを「白モノ」と呼び、石炭などを「黒モノ」と呼ぶ。が、貨物の中に「白い粉」が隠れていると大問題。
  家電業界では、冷蔵庫、洗濯機など白い色が基調のものを「白モノ家電」と呼ぶ。
  トラも、白黒も視覚的、直感的だから分かり易い。特に語源があるとも思えないので、きっと、誰かが言い始めて、分かり易さ故に広まったのだろう。
  下関港が全国シェア一位を誇る輸入野菜。ナス、トマト、キュウリは業界用語で「種野菜」と呼ぶ。種野菜の輸入で日本一の下関港なのである。
  種の部分を食べるから種野菜。聞いて納得である。が、予備知識が無いと理解できない言葉もある。
  例えば、下関港が指定されている「特定重要港湾」。仲間内では、略して「特重」と呼ぶ。
  この「特重」。国からの補助が大きいなど、下関港にとっては名実ともに大変に重要な格付けなのだ。が、「うな重の特盛り」と勘違いされることがあるので要注意。
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64.私のワイン選び
  ワインブームで困ること。それは、ワイン通でもないのにワイン選びをさせられることである。
  ワインリストなど分からない・・と素直に言えれば良いが、そんな時に限って、テーブル越しに素敵な女性が微笑んでいる。
  日本男子たるもの、素敵な女性の前で、出来ないこと、分からないことなどあってはならない。
  そこで一講釈。「ワインには、美味いか不味いかの区別と、高いか安いかの区別しかない。」と。
  そして、付け加える。「私は、美味くて、安いワインしか飲まない。」と。当然、アクセントは「安い」に置く。
  そこまで宣言したら、後はお店任せ。店の方は、貧乏な客が来たと思いながらも、料理に合わせて適当なワインを選んでくれる。
  ワインの銘柄、産地、年代、或いは細やかな味わい。そういった事柄には気を払わず、美味いか、不味いか・・に情報を凝縮しているのである。
  世間には、重箱の隅まで突っつかないと気が済まない質の人もいるが、私はそうではない。
  良く言えば「大らか」。普通に言えば「横着」なのだ。でも、凝縮された情報は、ある意味で本質的であり、考え方を整理する上で役立つことも多い。
  例えば、商港と工業港という港湾の区別。概して下関港は商港と呼ばれ、宇部港や徳山下松港は工業港と呼ばれる。
  この違いは、下関港と宇部港の生い立ちを比べると歴然となる。下関港の場合は本州と九州の結節、日本海と瀬戸内海の結節、そして朝鮮半島との結節といった交通の要衝性があって港が発展した。一方の宇部港は、まず石炭資源があって産業が発展し、これを支える港として発展した。
  取り扱う貨物も、下関港が全国向けの食品や衣料品を取り扱うが、工業港が扱う貨物は主として港に立地する産業関連の貨物である。
  だから、商港である下関港は他港とサービス競争をする宿命を負っている。が、工業港は貨物を他港に取られる心配がない。ただし、工業港は地元の産業と運命共同体。だから安心ばかりはしていられない。
  これらが、商港と工業港という区分に凝縮された港の本質である。
  すると、近年の生産の海外移転は商港の発展と工業港の衰退に結びつく・・となり、商港である下関港の繁栄を単純に喜べなくなるのである。
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65.ドボドボ
  就職、結婚など、人生の節目となる場面はそんなに多くはない。その大切な選択の場面で真剣に考えるのが普通なのだろう。が、私は余り深く考えた覚えはない。
  むしろ、その場の勢いばかりであった。が、熟慮せずに選択したことでも、結果には責任を持たなければならない。これが人生の選択のルールである。
  土木工学を選んだのも、工学系で唯一製図が楽・・といった単純な理由だった。
  その結果はどうか。まず、同級生に女子学生など一人もいない。聞けば明治の時代から女子の卒業生は一人もいない・・とのこと。そう、男ばかりの味気ない世界に入ってしまったのだ。
  しかも、同じ建物に入っている建築の学生は女性にモテるらしいのだが、土木の方はさっぱり。これを、属人的な理由に求めてはつまらない。そこで、土木がモテない「濁音理論」を友人が発明した。
  つまり、土木がモテないのは「ドボ」と、濁音が二つ並んでいるから・・というのである。
  この「ドボ」。確かに、泥の中に落ちてしまうような印象を与える。連呼すれば「ドボドボ」。なるほど、土木はモテない訳だ。・・と、仲間で納得したことを思い出す。
  味気なく、モテない学生生活を送った土木の学生もやがて卒業し、様々な土木分野で仕事を始める。
  例えば、下関で誰でもが目にする関門橋。仕事の成果が人々の注目を集める橋梁建設の分野は土木の花形である。ダム、道路、鉄道など大抵の分野は、仕事の成果が人々の目に触れる・・という意味で分かり易い。
  そして、これらの対極にあるのが港湾である。何しろ、お金をかけ、苦労した仕事の成果は海の中。人々の目に触れるのは、海から頭を出す氷山の一角でしかない。
  味気なく、モテない学生生活を送った上に、人に評価されない目立たない仕事をしている。だから、女性に弱く、僻みっぽくて当たり前。それが、私を含めた港湾土木技術者の深層心理である。
  今、下関沖合人工島を形づくるケーソンと呼ぶ巨大なコンクリートのマスを西山で建設している。これを海中に置く前に、是非、多くの皆さんに見ていただきたい。
  公共事業の情報公開という建前もあるが、多くの人々の理解が、港湾技術者達の心の癒しとなるのである。
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66.家族の情景
  腕白盛りの子供が、勢い余ってスッテンコロリン。そこに、夜の街でなら是非お友達になりたいようなケバケバの素敵なお姉さんが近づいて来る。どうやら、その子の母親らしい。見かけは派手でも、しっかり子供の世話をしている。そして、しばらくすると、今度は疲れ果てた父親が、紙袋をさげてやって来る。
  賑わう海響館辺りに繰り広げられる家族の情景である。
  休日に疲れ果てて見えるほど、普段はしっかり働くお父さん。
  若くて奇麗で、子供を大切に育てるお母さん。
  そして、元気で活発な子供達。
  こんなに素晴らしい家族がいる。日本の将来はまだまだ明るいぞ・・と私は一人安堵する。
  海に囲まれた島国日本。だから外国への旅行を海外旅行と呼ぶ。海を渡らなければ外国に行けないからだ。
  港湾と空港。海と空の港があって、日本は世界と結ばれている。人の海外旅行は、下関港の関釜フェリーなどを除けば、ほとんどが飛行機。空の港が人にとっての海外への玄関口となっている。一方、モノの輸送は、今も海の港が中心だ。だから、港での貨物の動きを見れば、島国日本がどんな国かが理解できる。
  日本は明治の御維新で鎖国を解き、近代工業国家を目指した時から、エネルギー資源、工業資源、食料資源を海外から輸入しなければならない国になった。結果、その輸入代金になる外貨を稼ぐために何かを輸出しなければならない国。それが日本なのである。
  明治から戦前まで、絹が一番の世界商品だった。
  終戦後、日本には戦艦大和を作った世界一の造船技術が残っていた。だから、世界に船を輸出した。造船王国日本の時代。それは造船の町下関の大繁盛の時代でもある。
  その後、鉄鋼、重化学工業製品、自動車、テレビ、コンピューター、ICチップ・・と輸出の主力品は移りかわる。が、それらを売ってエネルギー資源と食料資源を輸入し続けている日本。・・・だから、数多くの港湾が必要なのだ。
  でも、もしエネルギーや食料の輸入を減らせれば、無理してモノを輸出しなくて済むだろう。
  例えば、近年の省エネ技術や自然エネルギーの技術が普及すれば、エネルギー資源の輸入を減らせるかもしれない。
  そんな工夫を積み重ねて余裕の日本にしたいものだ。そうすれば、休日のお父さんが、もっと元気になれるだろう。
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67.喜びも悲しみも
  昔、十問正解すれば夢のハワイ旅行に行ける・・とのキャッチフレーズで始るアップダウンクイズという長寿番組があった。
  そのクイズ番組で、海上保安庁は何処の省に属するのか?という問題が出されたことがある。
  正解は、現在の国土交通省。かつての運輸省である。海上保安庁は海上保安庁。一般の人々にはそれで十分。だから、そこまで知ってる人は少ない・・ということで、クイズ番組の問題にもなったのだろう。
  海上保安庁は、各地方に管区海上保安本部を置き、更に主要な港に保安部を置いている。下関港では、門司にある第七管区海上保安本部の下、門司海上保安部下関海上保安署が置かれている。そして、かつての第四港湾建設局を「四建さん」と呼んだように、普段は「七管さん」と呼んだり、「保安部さん」と呼ぶ。
  例えば、国道は建設省の国道事務所が建設や維持を行うが、交通規制や交通信号の設置は警察が行う。これと同じで、下関港の港湾管理者は下関市でも、海の安全を守るのは保安部さんの仕事なのである。
  だから、港湾の仕事の様々な局面で保安部さんとの連携は欠かせない。
  そのような保安部さんとのお付き合いで分かったことがある。誰もが「喜びも悲しみも幾歳月」の歌が大好きなのだ。
  昭和三十二年公開された映画、「喜びも悲しみも幾歳月」。佐田啓二と高峰秀子が演じる灯台守の夫婦が、戦争を挟んで各地の灯台を巡る人生ドラマである。昭和六十一年には、時代背景を変えて、加藤剛と大原麗子の灯台守夫婦の新編が公開されている。
  そう、灯台の設置も海上保安庁の仕事であり、全国を転々とする灯台守は海上保安庁の職員なのである。だから、保安部さんの誰もが、その主題歌を好むのだ。
  きっと、海上保安庁に勤めれば、昔なら高峰秀子、ちょっと前なら大原麗子のような奥さんと一緒になれる。そんな願望からでは・・と勝手な解釈を思いついたが、良く考えれると保安部さんが皆、佐田啓二や加藤剛ばかりとは限らない。
  いずれにせよ、映画の題材になれる職場は羨ましい限りである。
  この歌。広い意味での関係者として、また、全国の港を転々とする身として、私も好きな歌なのだ。が、妻と二人で灯をかざすことのない単身赴任には寂しい歌でもある。
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68.港でデート
  人には必ず得手不得手がある。そして、何か勝負をするときには、誰でも不得手を避けて得意の土俵で競おうとする。
  例えば狙いの女性を初デートに誘うとき。歌に自信があればカラオケ。肉体自慢は海水浴。良いクルマに乗っていればドライブ。お金持ちはブランド・ショップ、お金が無ければ百円ショップといった具合である。
  私の友人は、お見合いをする度にディズニーランドを利用していた。最初はオープン直後の話題の場所として選んだようだが、数多くの相手との見合いを重ねるうちにディズニーランドの隅々まで熟知してしまったという。ディズニーランドが得意の場所になったのである。
  さしずめ、今の私なら、内陸は避けて海沿いの場所・・ということになるだろう。何しろ下関の海峡沿いは全て港。だから、話題には事欠かない。
  例えば、下関駅辺りから始めたとする。まず、商業捕鯨の全盛期、キャッチャーボートで賑わった下関漁港。水門がなければ強い潮流が流れる水域である。
  次に、シーモール辺り。昭和三十年代の埋立地である。だから、今でも港湾の土地。ちょっと前まで海だったのだ。そして、関釜フェリーの発着する国際ターミナルへ。国際ターミナルなのに日本語だけで「国際ターミナル」の看板しかないのがお茶目なところ。
  ターミナルに入れば昼間は必ずフェリーを見ることができる。日本で唯一、デイリー・サービスの国際フェリー航路だから毎日船が入っているのだ。
  次は夢タワー。建設中の沖合人工島を眺望し、眼下にはフェリー・ターミナルと岬之町のコンテナ・ターミナル。日本の対韓貿易の一大拠点である。でも、ガントリー・クレーンは一基だけ。これでは寂しいので、下関港の写真を撮る時には必ず対岸北九州港のクレーンも写るように工夫している。・・など、超極秘の話題もある。ここで、タワーの外観を話題にするとデートに失敗するから要注意。
  タワーを出て、飲み屋街に近いと船乗りさんに評判の細江の船溜まりを通り過ぎれば、あるかぽーと、唐戸に達す。水上警察署辺りに残る昔の線路が懐かしい。・・実は私の散歩コースなのだが、是非デートにも御活用いただきたい。
  日本とアジアを結ぶ下関港。若い二人の縁結びにも、きっとお役に立てるだろう。
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69.エレベーター・パラドクス
  市役所の最上階にある下関市港湾局。最上階だけに見晴らしは最高。
  暖かい空気が昇って来るので、冬暖かく、夏も暖かい。結果、汗をかくから二日酔いがすぐ覚める。
  でも、最上階だから庁舎の出入りに時間がかかる。とりわけ、古い庁舎だけにエレベーターも旧式。だから、エレベータもノンビリしている。これが急ぐ時には困りものとなるのである。
  そんなエレベーターで八階から一階に降りる時。ボタンを押して、エレベーターを待つ時間が長い。そして、ようやく扉が開き、エレベーターに乗り込む。始発だけに人数はごくわずか。でも、一階まで各駅停車となり、各階で人が乗り込んでくる。結果、エレベーターの一番奥に押し込まれ、一階に着いて降りるのは一番最後。 ・・そう、エレベーターに急いで一番に乗った人は、降りる時は最後になってしまう。逆に、最後に乗った人が最初にエレベーターを降りることになる。この順序の逆転を「エレベーター・パラドクス」と呼ぶのは如何だろう。
  だから、エレベーターで急ぐ時には人に道を譲れば良い。そうすれば、時間を無駄にすることも無く、紳士と誉めてもらえるかもしれない。
  このエレベーター・パラドクスは、エレベーターに限らない。
  例えば、満員電車。最後に乗り込んで扉に張り付いている人が一番に降りられる。ただし、満員電車は、奥の方がユッタリしているので、扉に張り付くことが必ずしも賢明な選択であるとは思えない。
  船に積み込む貨物でも実は、同じようなことが起きている。
  分かり易いのは、クレーンでコンテナを縦に積み込むコンテナ船である。船底から順次積み上げるので、最初に積み込んだ船底のコンテナの上には後から積み込んだコンテナが乗る。だから、最初に積み込んだコンテナが、最後に降ろすコンテナとなってしまう。
  そこでコンテナ船が無駄無く積み下ろしするためには、降ろす順序を計算に入れて船積しなければならない。また、積んだコンテナで船が傾かないように重さのバランスも考えている。
  コンテナ荷役に広いヤードと優れたコンピューターが要る訳だ。
  岬之町のコンテナ・ヤードで繰り広げられる作業風景も、見た目より奥が深いと思いませんか。
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70.出島ロマン
  十六世紀。修道士アルメイダが布教を始めた長崎。千五百七十年にはポルトガルとの貿易港として長崎港が開港する。
  キリスト教徒の町、国際貿易の港町長崎の歴史の開幕である。
  やがて長崎は、信者となった領主の寄進でイエズス会領となる。町には多くの教会が建ち並び、ポルトガル人達が自由に闊歩する国際都市・・長崎。が、これを知った秀吉はイエズス会領を没収。公領として長崎奉行を設けた。
  時を経て徳川の天下。キリスト教を禁止し、鎖国政策を進めるため、幕府は長崎の有力者達に人工の島を築かせる。
  工事は千六百三十六年年に完成。日本初の人工島、出島の誕生である。
  幕府は、その出島にポルトガル人を隔離収容してポルトガル貿易を続けようとしたのだ。が、出島完成の翌年、島原の乱が起こり、ポルトガル人への警戒を強めた幕府は千六百三十七年、ポルトガル人を追放する。
  一方、千六百年にオランダのデ・リーフデ号で豊後に漂着した航海士のウイリアム・アダムス、後の三浦安針は家康の信任を得て外交顧問となる。
  このアダムスの仲介により、千六百九年、オランダは二隻の交易船を日本に派遣。平戸に商館を開設していた。旧教国ポルトガルは駄目だが新教国オランダなら良い・・ということだろう。
  そこで、長崎の有力者達は、ポルトガル人が追放された無人の出島の活用を幕府に訴えた。
  これを受けて幕府は平戸にあった和蘭商館を出島に移す。千六百四十一年、ポルトガル人追放から四年後のことである。
  以来、出島は鎖国日本の唯一の貿易港として国際交易、国際交流の窓口となる。
  面積、約一・五ヘクタールの出島は海岸地形に対応した扇型。周囲を塀で覆われ、一本の橋が長崎の町と出島を結んでいたという。勿論、橋の通行は、オランダ人、日本人とも厳しく規制されていたようだ。
  一本の橋で結ばれた出島だから、厳重に通行を管理できたのだ。
  だからこそ、外国との交易、交流を禁止する鎖国政策の中で、出島が唯一の例外として外国人が住み、外国との交易が許されたのである。
  今、建設中の下関沖合人工島は長崎出島とそっくり。だから、出島が鎖国日本で唯一の貿易港なら、沖合人工島は二十一世紀の日本で一番便利な貿易港にできるはず。私の出島ロマンである。
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71.解説・出島ロマン
  今や自由貿易国となった近代日本。だからといって、外国から自由に何でも持ち込める・・という訳ではない。
  麻薬や銃器など輸入できない禁輸品目が決められている。そして、輸入品は全て輸入関税や消費税を支払ってもらわなければならない。だから、通関手続きや税関検査が必要なのだ。
  また、人も勝手に入出国されては困ってしまう。だから、入出国の時には、パスポートを持って入国管理局の審査を受けなければならない。
  更に、外国から危ない病気や害虫を持ち込まれたら大変。だから、厚生労働省や農林水産省の検疫所がチェックする。
  このように、日本と外国を行き来する人やモノは、必ず所要の検査を受けなければならない。
  これらを「CIQ」と呼ぶ。カスタムの「C」。イミグレーションの「I」。クアランティンの「Q」。合わせて「CIQ」となるのである。
  このCIQが国際旅客の受け入れや貿易を行う港には必要不可欠。だから、国際物流基地を目指す沖合人工島にもCIQが必要なのだ。
  でも、CIQは国の機関。行革、国家公務員の削減が叫ばれている昨今、沖合人工島が出来たといって簡単に人を増やしてもらえるとは思えない。
  そして、沖合人工島が、国際ターミナルや岬之町コンテナ・ターミナルから離れている分、CIQ職員の分散や移動による時間ロスが生じるかもしれない。これでは人工島を便利な港にできないのだ。
  そこで、改めて下関の沖合人工島を見ると、一つ大きな特徴に気づく。他港に比べて下関沖合人工島が極めて小規模なのだ。例えば、神戸港ポート・アイランドは約六百ヘクタール。これに対して下関の沖合人工島は、第一期整備で約六十ヘクタールしかない。
  広大な人工島は、土地利用を埋めるため住宅や商業施設など都市の機能を導入する。だから、一般人の往来も自在である。が、下関の沖合人工島は規模が小さいので国際物流の施設だけで土地利用が埋まる。そして、沖合人工島と本土を結ぶ一本の連絡橋の通行をシッカリ管理すれば密輸などの心配もない・・となる。
  鎖国時代の長崎出島を見習うことによって、CIQの仕事を効果的で効率的なものにする。それが便利な港づくりにつながるのだ。日本で唯一、下関沖合人工島だけが目指せる夢・・出島ロマンの心である。
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72.山と海の間で
  X線の目で何でも透視できるスーパーマン。でも、透視するのは金庫や壁ばかり。人を透視する場面を見たことが無い。それは子供向けの番組だから・・と誰かが考えた理由が妙に説得力があるから楽しくなる。
  いずれにせよ、隠されたものを、覗きたくなるのが人の心理。好奇心のなせる業である。
  だから、透視の能力が、人々の夢として、空を飛ぶ能力と同列にスーパーマンに与えられたのだ。
  さて、港湾技術者も修行を積めば透視の能力が備わってくる。山を見ただけで海の中が見えるのだ。
  急峻な岩肌を持つ山が海に迫っていれば、海は大抵、急深になっている。
  逆に、平地が広がる地形の前面は、砂浜や干潟が広がる遠浅の海となる。そして、川が流れ込む海では、川の先の海底は、周辺よりも地盤が悪い。
  急峻な地形と急深な海、平地と遠浅の海。これらが自然な組み合わせなのだ。が、そのままでは港にはならない。
  何故なら、港では荷役や産業立地のために広大な平地が必要だ。でも、海は大型船が安全に入港できるよう急深の方が好ましい。つまり、平地と急深の海・・という、ある意味で不自然な組み合わせが港には必要なのだ。
  そこで、港湾技術者の出番となる。
  急峻な山、急深の海の組み合わせの場合、山を削って、その土砂で海を埋め立てる。元々、海は深いので、山の土砂で足りない土地を造るのだ。
  この方式の代表格は神戸港。六甲の山を削り、ポートアイランドなどの大規模埋立地を造成した。しかも、削った山まで宅地にして売るのだから凄い。さすが関西人・・と感心する。
  一方、平地と遠浅の海の組み合わせの場合には、大型船が入れるように、沖の海底を掘り、掘った土砂で陸側の浅い海を埋立てる。近隣では博多港のアイランド・シティが、この方式である。
  下関の場合はどうか。中国山地の先端・・基本的には急峻な山地が海に迫る地形である。が、海に迫る山を単純には崩せない。下関では、山の斜面にも住宅が張り付いているからだ。その代わり、下関には関門海峡がある。関門航路を掘った土砂で、足りない土地を造るのだ。
  下関沖合人工島も、外枠を造って関門航路の土砂で埋立てる。眺めれば昔ながらの海。だが、その海の底を透かして見ると、人工島の外枠の石の小山が並んでる。
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