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港町下関考

“港町下関考”は「みなと山口新聞」で平成12年1月からスタートした連載です

No.1〜No.18|No.19〜No.36|No.37〜No.54|No.55〜No.72|No.73〜No.88完)
73.今は昔 74.百年の計 75.七色仮面
76.港湾哲学入門 77.今日の運勢 78.隠れた専門家
79.格言の知恵 80.下積み時代 81.住めば都
82.魔法の箱 83.貨物の種類 84.新潟慕情
85.サバイバル 86.よんけん通り 87.錨印
88.亀とウサギ
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73.今は昔
  旧四建に勤めた二十年前。当時の私は二十代の独身。公務員になったばかりで、初めての地方勤務、初めての下関暮らしだった。その時、割り当てられた宿舎が、今は無き彦島弟子待寮。木造の平屋に五〜六室の四畳半個室が並び、風呂や食堂は共同。通いの寮母さんが朝夕の食事を作ってくれる。夏場に部屋を襲うムカデを除けば快適な生活だった。仕事も技術的なもので服装に気を使う必要がない。だから支給された作業着を着ていればよく、そのままで通勤していた。
  つまり、当時の私は衣食住に煩わされることが一切無かったのだ。
  今はどうか。立場上いつもネクタイ。後始末が面倒なので食事は全て外食。本来は家族向けの一戸建てだけに手がまわらず、家の周りは密林と化し、家の中はゴミの山。
  私の二度の下関暮らしを比べれば、単身生活より独身生活の方が絶対に良かった・・となり、「結婚は人生の墓場」という言葉の重さを実感する。
  さて、その弟子待寮に入ったばかりの頃。晩になると窓がガタガタと揺れる。最初は地震でもあるのか・・と思ったが、次の日も同じ時刻にガタガタと揺れる。
  独身寮だけに、同じ時刻に家を揺らすほど妙なことをする几帳面な仲間がいる。しかも毎晩・・四建は凄いと感心した。が、しばらくして真相にたどり着く。
  そう、実は弟子待寮の真下に関門トンネルが通っており、列車が通る定刻に窓枠が揺れたのだ。
  列車の振動まで届くトンネルの真上。資料を見ると試掘坑辺りだから、旧鉄道省の工事用地だったに違いない。それが旧四建に移管して寮が建ったのだろう。
  日本が太平洋戦争に突入した翌年に完成した関門トンネル。旧鉄道省が直轄工事として進めたが、軍部に急がされた結果、海底トンネルとしては異例に浅い。工事は漏水を防ぐためトンネル内の空気圧を上げながらの人力作業。このため一人が働けるのが一日三時間。数多くの人々が交代しながら二十四時間掘り続けた。
  工事中、砂の地層に出くわし、トンネル内の空気が大量に漏れて海峡が泡立ったこともあったようだ。が、大量のセメントで砂を固めて事無きを得る。
  そんなに浅いトンネルだから、揺れが伝わって当たり前。トンネル内に伝わる船の振動に息をひそめた当時の作業員達を思えば、窓枠の揺れなど大したことでは無かったのだ。
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74.百年の計
  本年、百歳を越える長寿人口が一万人を突破。その八割が女性と聞く。
  これをもって、女性は長生きだと結論づけてはいけない。酒、煙草・・。仕事に疲れ、その疲れを癒そうと不健康な夜を過ごす悪循環が男を短命にしているだけなのだ。
  しかも、こんなに長生きできるのは、今のお年寄りに限られるだろう。若い頃は清浄な自然に囲まれ、天然の食材で育ち、戦中戦後の厳しい環境を生き抜いた筋金入り。だから長生きできるのだ。
  我々の世代はどうか。化学調味料とインスタント食品で育ち、テレビゲームで時を過ごし、歩くことを忘れて自動車ばかり。これでは、お先真っ暗である。
  百歳以上が一万人といっても、日本の全人口の約一万分の一。同世代では千人に一人が到達できるか、どうか・・という超難関である。
  つまり、大抵の人は百歳を越えられない。だから、今から百年先は、生まれたばかりの赤ん坊の極々一部を除いて、ほぼ地球上の全ての人類が現世を離れている。ホントの意味での世代交代の期間。これが百年という時間の持つ意味である。
  このように人は果かなく世代交代を繰り返す。が、街づくりや港づくりは積み重ねである。
  その端的な例は、スペイン、バルセロナのサグラダ・ファミリア大聖堂。着手後ガウディーが引き継いだ建築は、工事を始めて百年以上を経た今もまだ工事中。完成まで更に百年以上かかると言われている。
  長府の街を見渡せば、国宝の巧山寺仏殿は別格。毛利邸なども、当然、維新以前からある。長府の町の基本構造は百年以上前から変わっていないということなのだ。
  一昨年に開港百周年を迎えた下関港も北前船の歴史を数えるだけで港の歴史は数百年となる。
  今、建設中の沖合人工島や話題のあるかぽーと開発は構想されてから既に二十年が過ぎ、コンクリートを固めるだけでも一ヶ月かかる。
  街づくり、港づくりの十年、二十年はアッと言う間。だから、 下関市、そして下関港の百年後。子々孫々に何を残すのか・・を議論することが重要なのだ。しかも、十年、二十年先の話と違い、誰も生きていられない百年先の話なら、誰もが欲得抜きで議論できる。
  百年を計れば、人は神仏の境地に達し、神仏の境地で練り上げた計画に間違いは無いのである。
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75.七色仮面
  かつて、幼かった長男がリバイバル放映されている「ウルトラマン」に興じている時、怪獣が如何に倒されるかを予言して多大な尊敬を勝ち得たことがある。
  子供の頃に見たオリジナルのシーンを思い出しただけなのだ。が、そんな種明かしはしない。パパは何でも知っている・・のだ。
  今思えば、その時が我が父権の絶頂期であった。絶頂期があれば、その後は落ちるだけ。今や時々やって来る粗大ゴミである。単身赴任を続けると失うものも多いのだ。
  いずれにせよ、子供の頃に見たテレビ番組は不思議に覚えている。
  テレビ初の実写ヒーロは大瀬廣一主演の「月光仮面」。今、そのリバイバル番組を見ると、当時はカッコいいと思っていたオートバイがとても貧弱に思える。高度経済成長を経て、日本人も贅沢になったのだ。
  「月光仮面」の何年か後に出るヒーローが「七色仮面」。「・・七つの顔のおじさんのホントの顔は誰でしょう」という主題歌のフレーズが、三十年以上経っても耳に残っている。このフレーズから、当時は「おじさん」という言葉に今日的なニュアンスが無かったことに気づく。
  そう、昔のオジサンは偉かった。
  調べると「七色仮面」では途中主役の交代があり、あの千葉真一が二代目主役を演じていたようだ。それを知って、七色仮面が見事な宙返りをしたことを突然思い出す。これが連想記憶というものだ。
  しかし、七つも顔を持っていると、神出鬼没は良いが、そのうち自分が何者か分からなくなってしまうのでは・・と余計な心配をしてしまう。
  そこで、下関に連想が至る。
  維新の発祥の地、歴史の町、捕鯨の基地、水産漁業の町、観光都市、海峡の町、造船の町、港町。
  下関市には、実に多彩な冠が付く。大抵の都市のキャッチ・フレーズは一つか二つだから、これほど多くのキャッチ・フレーズを持つ町は、全国探しても下関だけだろう。
  そう、下関市は実は都市の七色仮面だったのである。その多彩なキャッチ・フレーズは、全国に誇れる多彩な歴史、資産、地場産業を持っていることを表わしているのだ。
  でも、下関の将来に向かって人々の力を結集するためには、キャッチ・フレーズの絞り込みも必要になるだろう。
  七つの顔の下関、ホントの顔はどれでしょう・・・
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76.港湾哲学入門
  お酒を飲めば、必ずどこかで失敗する。
  そして飲んだ翌朝の反省。・・あんなこと、言わなきゃ良かった。あんなこと、しなきゃ良かった。こんなになるまで飲まなきゃ良かった。今度、飲む時、気をつけよう。・・となる。
  実は全く懲りていないのだ。二日酔いの苦しさに耐えながら繰り返す反省に自虐的な喜びを感じるようになると、飲兵衛としては一人前。
  更に、日々の反省が人格を育むのだから、自分を磨くために嫌でも飲む・・との妙な理屈にたどり着く。この域に達すると、もう「飲む」とは言わない。「哲学する」と言うのである。
  私も、東京勤めの頃は新橋哲学を学び、今、下関では唐戸哲学を勉強中である。
  かつての部下で豊前田哲学の大家がいた。奥方には、単身赴任の私の哲学に付合わなければならない・・との理由で毎晩哲学していたようだが、異動後も相変わらず哲学を続けているらしい。今度は、どんな理由で哲学しているのか・・奥方に一度聞いてみたいと思っている。
  今春、その部下の栄転を見送る時、次は誰と哲学しようか・・悩んでいたら、後任も唐戸哲学の達人だった。さすが、市の人事部局は良い仕事をすると感心した。
  何しろ、港湾の仕事は哲人にしか出来ない・・というのが私の持論である。それ故か、市の港湾局のメンバーはみんな哲人揃いである。しかも、各人各様の哲学癖がある。
  A課長は、哲学中、「それっちゃ」の大声を合図に哲学が勢いづく。B課長は、逆にフニャリとしてから急に哲学に深みが出てくる。だから、この二人と哲学すると、哲学が勢いづき、かつ深みに入るから止まらない。
  そこに、ドクター・ストップを気にしない付合い哲学のC課長が入る。更に毛深過ぎて哲学中も仕事の苦労を顔に出さないD室長。哲学するとやたらに服を脱ぎたがるE君。そんなメンバーで哲学も大混乱。どうしようかと心配になった時、唐戸哲学の達人であるF次長は凄い。・・突然、バタリと倒れるのである。
  すると、普段なら止まらないA課長とB課長が正気に戻り、F次長を自宅まで送り届けることで一件落着となる。
  他の港には超極秘。この哲人達のチーム・ワークが下関港を支えているのだ。
  さぁ今夜も哲学するぞ・・下関港の発展のために
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77.今日の運勢
  占いを信じない私でも、朝のテレビで今日の運勢が絶好調だと嬉しくなる。
  そして逆に、運勢が絶不調だと、ついつい占いのご指示に従いたくなってしまう。
  恋愛運が悪い・・となれば、職場の女の子に声をかけるのにも気を遣い、本命のママさんのお店には顔を出さないようにする。金運が悪い・・となれば、パチンコ屋さんの前は絶対に通らない。健康に注意・・となれば、飲む酒を押さえ気味にする。そして仕事運が悪い・・となれば、その日は出来るだけ死んだ振りをし、やむを得ない判断も普段より慎重を増す。
  ただし、今日のラッキー・カラーが赤といわれても、赤いパンツまで履こうとは思わない。
  これが私流である。占いを信じるか、どうかは別にして、様々に気を遣うのは決して悪いことではない。だから、私は今日の運勢を契機にして、その日の気遣いを決めるのである。
  毎日、自分を律するのは大変だが、時々なら、意志の弱い私でも何とかなるということだろう。   時々は紳士と見られ、時々は真面目な公務員として働き、そして時々は健康的な単身赴任生活を過ごす。そうすれば、いつも不良、不真面目で不健康よりは、マシな人間になれるのである。
  二日に一日の割合で運動し、三日に一日の割合でお酒と煙草を止め、一週間に一日の割合でささやかなギャンブルが許される。・・そんな占いが私の理想であるが、思い通りにならないのが世の中。なかなか都合の良い占いに巡り会えない。
  仕方が無いので、宮本式関門海峡占いなるものを考案した。
  毎日、定刻、定位置を定めて海峡を見渡すのである。その時、船が見えれば吉とし、その船が大きければなお良し。そして潮に乗って船が走っていれば大吉とするのである。更に、左右から船が近づいてきたら絶好調。ささやかなギャンブルに挑戦し、その後は唐戸で町おこしに励むのも可となる。
  一方、船が一隻も見えない時は凶。酒と煙草を控え、健康的な生活に徹することにする。
  この関門海峡占い。海峡沿いに住む下関人の特権なのだから、是非一度お試しいただきたい。
  酒も煙草も止められず、毎日が絶好調になること間違い無し。大型船が一日平均七百隻以上通過する国際航路の関門海峡では、船が見えない時など滅多に無いからである。
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78.隠れた専門家
  世の中が不景気という割には、若い女の子の持ち物は凄い。
  こげ茶色のビニール張りや三角形のメタルのラベル、或いは視力検査の模様を組み合わせたマークなど、バッグだけでも海外の高級ブランド品を誰もが持ち歩いている。
  自分のお金で買ったのか。それともミツグ君に買ってもらったのか。そんなことはどうでも良い。でも、女の子達が海外のブランド品を手にする度に、確実に日本のお金が海外流出する。
  その日本のお金は、輸出企業のオジサン達が、汗にまみれて稼いだお金である。なのに、家の中では同じ洗濯機で下着を洗うことを娘から拒否されるオジサンもいるという。これが現代の不条理というものだ。
  日本の経済を考えれば、いっそ京都の職人さんの作る錦の信玄袋を持ち歩いてもらった方がマシだと思うのだが、いまだブームの気配は無い。
  一方、地球環境の視点に立つと、海外高級ブランド品の評価が大きく好転する。
  まず、地球的な立場では日本の貿易収支など関係ない。そして、何よりも大切なことがある。ブランド品は簡単にはゴミにならないのである。
  高価なものだけにちょっと使い古しても捨てるのが惜しい・・ということかもしれない。
  また、頑丈で、補修などのアフターサービスが整い、そしてデザインの陳腐化も進まない・・ということなのだろう。
  割安だからと、簡単に使い捨てる資源浪費型の商品よりは、遥かに環境に優しい商品。それがブランド品なのだ。だから一生モノとして、一つのモノを大切にするのは大いに結構なことと納得できるのである。
  さて、このようなブランド品の専門家が意外な所にいる。
  つまり、ブランド品にはニセモノが大敵。ボーレックスとかエルメルとか。そんなニセモノを取り締まり、本物にはそれなりの税金を払ってもらわなければならない。その仕事をする税関さんは、実は隠れたブランド品の専門家なのである。
  聞けば、本店の専門家の講習も受けて、ブランド品の見分け方を習うという。それほどブランド品を知り尽くした税関さんだが、身に付けているモノは質素そのもの。
  違いを知ることと、買うということとの違いである。この違いは単に「給与が安い」だけなのだが、より美しい言葉では「公務員らしい」となるのである。
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79.格言の知恵
  国から出向して、市で働くようになって感じるのが国県市の序列である。つまり、市より県が偉く、国はもっと偉い。
  おおよそ地方分権が叫ばれること自身、地方分権が十分ではないことの一番の証と言えなくも無いのである。
  そんな序列があっても、役人仕事は理屈の仕事だから、大抵は理のある所に利が傾くので互いに納得できる結論を得られるから問題にならない。
  しかし、希に立場の違いが意見の違いになることがある。このような場合、互いに別の理があるから大変だ。そのような場合に限り、序列が事を決める。そして一番弱い市の立場では、国や県と対立すれば必ず負ける。「泣く子と地頭には勝てない」のだ。
  でも、そこで諦めていては下関市民に申し訳が無い。何とかせねば・・と考える内、その格言に逆転の発想が潜んでいることに気づいた。
  「泣く子と地頭に勝てない」のなら、「泣く子」は「地頭」と同格。よって、「地頭」である国県との折衝で、市は「泣く子」に徹すれば良いのである。合理性や必要性について詳細の説明などせず、「困った、困った・・」と言い、「欲しい、欲しい・・」と言う。余計な理屈が無いから、理屈で対立する訳が無い。そうすれば、大抵の場合、国や県が理屈を考え、出来る範囲で対応してくれる。
  何故なら、下関市は、本当は日本国山口県下関市だからである。下関市民は、山口県民であり、日本国民である・・という方が分かり易いかもしれない。
  この単純なことさえ十分に理解していれば、国県市の立場の違いなど大きな問題にはならないのである。
  そのような考え方の代表は、下関港の沖合人工島である。市の力だけで進めるには荷が重い・・ということで、国土交通省(旧四建)が、国の事業として工事を進めてくれている。また、山口県は全県的事業と位置づけて、地元が負担しなければならない費用の半額を出してくれている。
  これらのお陰で、沖合人工島は市の負担の割合が小さい、市にとっては大変有利な事業になっている。
  このように国や山口県に大きく助けられている下関港。そこで、市が出来る恩返しは一つしかない。それは下関港の発展である。
  何故なら、下関港の発展は、山口県の港の発展であり、日本の港の発展に他ならないからである。
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80.下積み時代
  源平合戦の古戦場仲間である香川県高松港には、世界初の赤いガラスの灯台が輝いている。
  通常ならコンクリートなどで造る塔体の外側をガラス・ブロックで覆っている灯台である。形もシンプルで、昼間に見ても感銘を受けないが、夜は違う。内側に設置した蛍光燈の光が外壁を透けて灯台全体が赤くほのかに輝くのだ。
  この灯台は、私が高松港の工事事務所長時代に構想したのだが、完成するまで更に三代の事務所長が関わっている。失敗が許されない公共事業で、初モノには様々な実験と工夫が必要だったのだ。そんな訳で、ガラス灯台に関わった四代の所長の中で、私は絵だけ描いた所長とされている。そして、四代の所長の中で一番良い役回りは最後の完成に立ち会う所長である。工事史に残る写真は大抵は竣功式典でのテープ・カット場面である。その場面に写る所長の顔だけが未来永劫、関係者として記録されるからである。
  そのような所長を仲間内では「テープ・カット所長」と呼ぶ。
  一方、テープ・カットが出来なかった他の所長を「下積み所長」と呼ぶ。だから、私も「下積み所長」である。
  さて、私が下積み所長としてガラス灯台を構想したのには二つの理由がある。
  第一の理由は金色夜叉の物語である。「ダイヤの指輪に目がくらむ」お宮さんの話を聞いて、誰も指輪のデザインなど気にせず、「ダイヤの指輪」だけで納得する。素材はデザインに勝つということだろう。それをヒントに、地元で湧き起こった灯台のデザイン論議を「ガラスの灯台」で収束させたのである。
  第二の理由は地域知名度への貢献である。
  世界初のガラスの灯台をマスコミに取り上げてもらい、地域の知名度アップや観光振興に貢献しようと考えたのである。
  当初の狙いは朝の連続ドラマ後の全国ニュースだったが、結果は大失敗。夜に光る灯台は朝のニュースにならないのだ。
  でも、大河ドラマの後の全国ニュースで二度取り上げてもらえた。この広告効果だけで、灯台の建設費用の大半が回収できる計算になるのだから、高視聴率の全国放送は凄い。
  今般、「宮本武蔵」がNHKの大河ドラマに決定したと聞く。一過性のニュースより、毎週のドラマの方が威力絶大だから、巌流島を擁する下関の大チャンスである。
  この大チャンス、どこまで活かすか腕次第・・
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81.住めば都
  旧英国領事館や第一別館よりは多分新しいのだろう。でも、それに見劣りしないくらい古びた木造の一軒家が下関の我が家である。
  長年の風雪に痩せこけて隙間だらけの木の壁のお陰で、夏暖かく、冬寒い。窓を締め切っていても煙草の煙がこもらないので、たとえ酔っ払って不始末をしても、ガス中毒になる心配が無い。
  虫達も家の内外を自由に往来するので、家の中の食べ物屑を知らぬ間にアリ達が始末してくれる。虫刺されも多いが、三年目にもなると、痒くもなければ、治りも早い。身体が環境に慣れてしまったのだ。
  何より助かるのは、余りに家がボロで、人など呼べないところである。
  だから、単身赴任でも妙な話にならないのである。・・市役所もよく考えてくれているのだ。
  そんな家の中は、今やゴミの山。正確には、ゴミ候補の山といった方が良いのかもしれない。
  着古した肌着も、引越しの大掃除の雑きんに置いておこう。読みふるした雑誌は、熱い鍋を置く時には重宝する。インスタント食品のアルミの器は灰皿に最適。・・
  そんなふうに考えると、何でも捨てる訳にはいかなくなってしまう。
  良く考えれば、いつ壊しても良い家だから、家そのものも、ゴミの候補なのだ。そして、私も下関では港湾局長だが、神奈川の自宅では粗大ゴミ。類は友を呼ぶのである。
  さて、このような私の身の上を振り返って気づくことがある。
  それは、ゴミか否かは客観的に決まるものではなく、主観による・・ということである。だから、ある人にはゴミでも、別の人にはゴミではないということがある。
  ゴミを役人用語では「廃棄物」という。でも、これに利用価値を見出せば「有用物」或いは「有価物」となる。これがリサイクルの本質である。
  例えば、通常「廃棄物」とされる石炭灰も、使う気になればセメントの原料になる。すると港湾の貨物統計では、石炭灰が「窯業品」と区分されるから楽しくなる。
  確かに灰も窯から出るのである。
  下関港の沖合人工島建設も廃棄物埋立事業になっている。ただし、この「廃棄物」は関門航路の浚渫土砂であり、決して汚いモノではない。そして、不要な土砂で有用な土地を造るという意味で、沖合人工島の建設は立派なリサイクル事業なのである。
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82.魔法の箱
  たまの出張で自宅に帰っても、単身赴任生活の孤独癖は簡単に修正できるものではない。家族が寝静まってからが私の時間。台所で夜食をあさり、孤独に深夜の放送や読書を楽しむのである。
  そして、その翌朝には必ず女房から文句を言われる。子供の弁当にするつもりだった・・とか、朝ご飯に用意していたのに・・とか。勝手に冷蔵庫の中の食材を使ったのが気に入らないらしい。
  でも、そのような事件の後、しばらくして自宅へ帰り、またも夜食あさをすると、女房の文句の種だった食材が冷蔵庫の中でカビを生やしているのを見つけ、アレレ・・となる。
  ここで前回のお礼をしても、報復は報復しか呼ばない。平和主義者の私は、黙って冷蔵庫を片づけるのである。
  これを我が家では「女房のカビ研究」と呼んでいる。カビの研究は余程の研究熱心でなければ出来ないことだ。だから、研究の大家は我が女房だけ・・と思っていたが、聞けば仲間は多いらしい。
  例えば、我が身内の家庭では、K大出のご亭主が「冷蔵庫は魔法の箱じゃないんだよ」と奥方を諭すという。さすが、K大出は違う。
  さて、このような状況は、実際に食べる量より多くの食材を買い込むことが原因である。
  これに、冷蔵庫の機能に対する過度の信頼が重なった結果であろう。
  でも意外なことに、冷蔵庫のカビ研究が食材を多く無駄にしている・・とはならないのである。
  何故なら、無駄にした食材の量は、食べられるのに捨ててしまった食材の量であり、カビが生えたかどうかは関係が無いからである。
  むしろ、カビが生えるまで冷蔵庫に置いておいた訳だから、食材を簡単には捨てない・・となり、無駄を少なくしている・・となる。
  本当に無駄にしていたのは、実は冷蔵庫のスペースなのだ。そして、大型冷蔵庫がカビ研究のホントの原因だったのだ。
  冷蔵庫が大きくなり、中に入る食材の量が増え、それに女房の管理能力が追いつかないのである。
  漁業の基地だったから、数多くの冷蔵、冷凍倉庫が立地する下関港である。
  冷蔵庫でも大変だから、冷蔵、冷凍倉庫の仕事はさぞかし大変なのだろう。
  どこでも仕事を忘れない私。でも公務員の鑑と思っているのは自分だけだろう。
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83.貨物の種類
  港の貨物は二種類しかない・・と言うと、我が仲間でも大抵は驚いた顔をする。そして、ちょっと気の利いた相手であれば、重いか、軽いか・・とか、高いか、廉いか・・といったことを思い浮かべる。しかし、私の考える区別は、腐る貨物と、腐らない貨物の二種類なのである。
  「腐る貨物」とは、時間が経てば価値が下がる貨物であり、急いで運ばなければならない貨物である。一番に分かり易いのは、ホントに腐る生鮮食品である。衣料品も時間が経てばデザインが古くなり、売れなくなるので腐る貨物の部類に入る。自動車でも、モデルチェンジがあるから、余りノンビリ売る訳にはいかない。
  実は、大抵の商品が売らずに置いておくだけで腐るのである。何故なら、その商品を倉庫に寝かしておくだけで、保管の費用と金利の分だけ確実に損を続けるからである。そうすると商品を売っても儲からなくなる。それでは、商品の値打ちが下がることと同じなのである。
  だから、急いで運ばなければならない。急いで運んで保管の経費と金利の損を減らすのである。
  このことは高級ウイスキーを飲めば簡単に理解できる。八年モノに比べて十二年モノは高く、二十五年モノでは目の玉が飛び出してしまう。
  その値段の違いは金利と保管の経費である。でも、時間をかける分だけ値段を上げられるウイスキーだから樽に詰めて寝かしておける。
  でも、それを仕入れた酒屋さんは、早く売らなければ損をする。酒屋が何年置いても値段を上げられないからだ。
  では、「腐らない貨物」とはどんな貨物なのだろう。
  置いておいても値打ちが下がらず、保管費や金利を払っても儲かるようなモノだったら、急いで売るより、置いておいた方が良い。それは、例えば、原油や原木など、相場によって値段が変わる原材料なのだ。
  だから、原材料は廉い時に仕入れて、高くなって売れば商売になる。また、そのお陰で、物価変動が押さえられているのである。
  フェリー・ターミナルや岬之町のコンテナ・ターミナルでは腐る貨物を急いで運ぶ。一方、西山地区では、腐らない材木が積み上げられている。腐っても、腐らなくても、貨物は全部、港のお客さんなのである。
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84.新潟慕情
  シンシンと雪が降る夜道を歩き、縄のれんをくぐる。白く曇ったメガネを拭きながらカウンターに座り、皿にのったグラスの酒に口を近づる。肴はホタルイカの沖漬け。ちょっと年上の素敵な女将さんが運んでくれる。・・これが、私の日本酒の原風景である。
  若い頃は美味しい日本酒を知らず、日本酒を飲むようになったのが新潟勤務の頃だからだろう。米どころ、酒どころの新潟だから、職場の懇親会では必ず日本酒となり、それが美味しくって、すっかり日本酒党になったのだ。
  そして、日本酒党の仲間に私の原風景の話をすると、皆が当然と共感してくれる。聞けば、日本酒は冬場が一番美味しいという。秋に収穫した新米を仕込めば、新酒が出回るのが冬場。新酒が一番美味しいのだから、日本酒は冬場に限るというのだ。
  そう言えば、北前船で米を運んだ・・とは聞くが、酒を運んだ・・とは聞かない。冬場は季節風で荒れる日本海だから、北前船は春から秋の期間限定運行だった。だから、酒を運びたくても、大事な時に運べなかったのだ。
  そこで、日本一の酒どころ灘五郷との違いを比較すると、灘の酒造メーカーは江戸時代初期の創業だが、新潟の酒造メーカーは明治時代の創業が多い。灘の酒造りは江戸時代に立派な産業に育ち、一方の新潟の酒は、恐らく地元の人々の楽しみに留まっていたのだろう。
  何故なら、灘の酒は、京の都をマーケットとし、次に江戸という大都市をマーケットとしたのである。このため、江戸時代の初期に江戸まで酒を運ぶための樽廻船という輸送手段を確立した。
  樽廻船は太平洋の沿岸航路だから、北前船とは逆に台風の心配の無い冬場が得意。そのお陰で冬場に醸造したお酒をきっちり江戸まで届けることが出来たのである。
  この樽廻船で江戸に運んだ日本酒を「下り酒」と呼んだという。
  灘の生一本といえば、六甲山の宮水と播州米があったから・・ということは有名だ。しかし、幾ら良い商品が造れても、市場へ運べなければ売れない。運べて初めて商売になるのである。
  かつて日本の物流を支えた海上輸送は、トラックなどの陸上輸送に主役の座を奪われた。
  港湾関係者としては寂しい限りだが、その寂しさを陸送で運ばれる新潟の美味しいお酒が埋めてくれる。
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85.サバイバル
  東京オリンピックの年、小学校三年生だった私は、教室の壁に張ってあった日本の貿易額のグラフを見て、輸入が輸出より多いので日本のお金が無くなってしまうと幼心に心配したことを思い出す。
  今思えば、当時の私は国際経済の神髄を理解した神童だったと言えなくも無い。
  丁度、日本が高度経済成長を始める頃である。
  原材料を輸入して、製品を輸出する加工貿易を進め、輸出振興して外貨を獲得することが国是とされた時代である。
  日本各地で港湾の建設と産業立地を組み合わせた臨海工業地帯の開発が盛んに行われた。
  建設された港に工場が立地して、港は工場の貨物で賑わい、地域も潤う。そして、それぞれの地域の繁栄の総和として、日本は高度経済成長の道を進む。
  このような構図の下での港の競争は、工場の誘致合戦であったろう。
  しかし、産業全体が大きく成長する量的拡大の時代だから、増えるパイを分かち合うということが出来たのである。
  そして今日。日本が外貨を稼ぎ過ぎたと円高が進み、それでも稼ぎ過ぎると輸入振興を進める羽目になる。
  結果、経済のグローバル化の名の下に、産業のアジアへの移転が進む。産業の空洞化である。
  それが海運のコンテナ化の進展と呼応して、港湾では中間品の輸出や製品輸入のためのコンテナ貨物の取り扱いを重視するようになる。
  同じ貨物を積み下ろしするなら、同じ形の丈夫な鉄の箱に入れた方が効率的である。このコンテナ化による港湾での貨物の積み下ろしの効率化が、コンテナ船の大型化に拍車をかけることになる。
  これは、原油がパイプをつなぐだけで簡単に積み下ろし出来るので、五十万トンもの超大型タンカーが建造されるのと同じである。
  原油ほどは簡単ではないが、コンテナ貨物の荷役効率もかなり高い。だから、コンテナ船の大型化が進むのだ。
  大型化した船舶にとって大切なことは船の大きさを無駄にしないことである。このため、船は貨物でいっぱいに出来る港を選んで寄港する。
  このため、港湾では他港の貨物を奪ってでも貨物を増やし、大型化した船舶に選んでもらわなければならなくなった。
  これが今日の港間競争の構図である。この厳しい港間競争に下関港も生き残らなければならないのだ。
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86.よんけん通り
  海上交通の要衝、そして海の難所であった関門海峡に、安全な航路を整備するために「内務省下関出張所」が開設されたのが一九一一(明治四十四)年。
  場所は、関門海峡を見渡す亀山八幡宮足下の唐戸の地、現在の新唐戸市場辺りである。
  運輸省設立で五二(昭和二十七)年には「運輸省第四港湾建設局」と名称を新たにした。
  七八年には唐戸から竹崎に局舎を移したが、一貫して関門航路の整備はじめ、九州・山口地区の整備を担当してきた。
  それが本年一月の省庁再編で旧運輸省と旧建設省などが統合して「国土交通省」となったことに伴い、旧第四港湾建設局も「国土交通省九州地方整備局港湾空港部」に生まれ変わった。
  役所の正式名称だから仕方がないのかもしれないが、漢字が十七文字も並ぶ名称は余りに長すぎる。
  もっとも、かつての「運輸省第四港湾建設局」も数えてみれば漢字で十文字。これも結構な長さである。
  洋の東西を問わず、長い名称は使うのに不便だから、必ず略称が生まれる。英語なら「FBI」や「CIA」といった具合に頭文字で勝負するが、日本語の場合、大抵は漢字のつまみ食いとなる。
  だから、運輸省第四港湾建設局とは呼ばずに、誰もが「四建(よんけん)」と呼んでいた。漢字二文字、かなで四文字だから呼び名としては最高である。
  何故なら、俳句が五七五であるように、かな五文字が日本語のリズムの最小単位であろう。その五文字から「〜は」とか「〜が」といった助詞の一文字を除けば、固有名詞としては四文字が呼びやすいリズムを作るのに、ちょうど具合が良いのである。
  いずれにせよ、下関の誰もが知ってた四建。
  「四建」と言うだけで、唐戸でも豊前田でもツケが効き(?)、タクシーも「四建」で通じた。それが「国土交通省九州地方整備局港湾空港部」となり、まだ略称が定まらない。これが不便で、タクシーに乗れば「昔の四建」と呼ぶのだが、妙な具合である。
  この不便さを払拭するため、旧四建の庁舎(下関地方合同庁舎)前の通りが「四建通り」と命名される。これでタクシーはバッチリだが、通りの名前でツケは効かない。
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87.錨印
  カラオケでは森進一の「港町ブルース」を歌い、さり気なく錨グッズを身に付ける。
  私も港の仕事に関わって二十年余、海や港にこだわるのである。そして、この傾向は私ばかりではない。我が仲間の多くは錨や帆船の模様の入った陶器のカフスを一つは持っているようだ。
  それは自分の仕事に対する愛着の表われであることは間違い無い。
  それなら他の仕事でも同じようなことがあって良さそうだ。
  確かに、ある有名な運送会社の社長さんは山本譲二の「夢街道」をテーマ・ソングにしているという。何しろ、社内の飲み会で社長さんのその歌が出ればお開きとの暗黙のルールがあり、その歌を社長さんが歌う時は、同席した社員全員が息の合った手拍子を打たなければならないらしい。これも社員に慕われている社長さんの人徳だろうと感心する。
  でも、ハサミのデザインのネクタイピンをしている床屋さんや、ハンドルをデザインしたようなグッズを身につけている運転手さんに出会ったことが無い。
  このような違いをどのように考えるのか。海の仕事にロマンがある・・といっても、港湾関係者だけが仕事に愛着を感じる訳ではないはずである。
  考えてみれば答は単純である。
  誰でも自分の職業に愛着を持っているのだが、それを表わす適当な方法がなければ、愛着を表わしたくても表わせないのである。その点、港湾関係者が恵まれているだけなのだ。
  流行歌を見渡せば、海や港をテーマにした曲が目白押し。だから、港湾関係者がカラオケで港の歌を歌おうと思えば、苦労せずに、しかも自分の好みに合った歌を見つけることが出来る。
  また、港のシンボル、錨のマークも同様である。調べれば、洋の東西を問わない三大マークが、十字架とハートと錨らしい。三大マークの一翼を担う錨のマークだから、錨グッズを探すのも簡単なのだ。
  海のロマン。だから、沢山の歌に歌われ、錨のマークがメジャーになる。そのお陰で、港湾の関係者は、仕事に対する愛着を表わすことが出来るのである。海の仕事に関わるもののささやかな幸せと言えるだろう。
  そんな私が下関で大発見。本紙の社名が「みなと山口合同新聞」。「みなと」を冠する新聞に拙文を掲載してもらうのも私の仕事への愛着の表われなのである。
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88.亀とウサギ
  島国日本の貿易は、船による海上輸送とトラックや鉄道による陸上輸送の組み合わせで貨物を運ぶ。
  ここでまず重要なことは、海上輸送と陸上輸送のスピードの違いである。
  船は時速三十キロ程度しか出せないが、陸上輸送は時速百キロで貨物を運べる。海は足の遅い亀が運び、陸は足の速いウサギが運ぶのである。
  そして、亀からウサギへバトンタッチする場所が港湾である。
  そこで、同じ距離を早く運ぼうとすれば、亀の担当距離を短くして、足の速いウサギに早くバトンタッチすれば良い。
  本州最西端の下関港は、本州で韓国や中国に一番近い港湾である。だから、下関港でバトンタッチすれば、一番早く貿易貨物を運ぶことが出来るのである。
  それが、対韓貿易で急ぐ貨物が下関港に集まる理由である。キュウリやナスなどの生鮮野菜の輸入で、下関港が全国一になるのも、生鮮野菜が急ぐ貨物だからである。
  亀とウサギには、もう一つ大きな違いがある。
  亀の料金はドルで決まり、ウサギの料金は円で決まる。つまり、運ぶ料金の考え方が違うのである。何故なら、国内輸送は海外と競争しないで済むが、国際航路では日本船が外国船と競争しなければならないからだ。
  港から外海に出れば、そこには国際競争の荒波が待っているのである。
  「ドル亀」と「円ウサギ」である。今の円高では、同じ距離を運ぶ時、円ウサギよりドル亀の方がかなり安上がりである。
  だから、急がない貨物は、下関港を通らずに、大阪湾や東京湾の港湾を利用する。廉いドル亀 に出来るだけ運ばせて、高い円ウサギが運ぶ距離を短くする。
  ドル亀と円ウサギのバトンタッチの場所も貨物の都合で様々なのだ。
  下関港には、現状の円高では割高とされる陸上輸送費を支払っても、急ぐ貨物が集まっているのである。そして、今より金利が上がれば急ぐ貨物が増え、円安になれば円ウサギが今より割安になる。金利上昇と円安のどちらもが下関港の貨物増大に直結するのである。
  そこで現状を改めて考えると、金利は底、為替レートも今より円高が進むと思えない。
  だから、現状でも頑張っている下関港の将来は極めて明るいと断言できるのである。・・・末広がりの八十八回、縁起をかついで最終回とする。
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